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世界の85%が希望の時代、米欧日が不安の時代となった理由

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  (NEWSWEEKの画像と記事より)

今の時代には、繁栄も機会もつながりも、かつてないほどあふれている。
昔より寿命は延びたし、教育の機会も飛躍的に増えた。
先進的な医療が普及したおかげで、1世代前なら助からなかったはずの命がたくさん救われている。

ではなぜ、欧米社会で、こんなにも多くの人が不満をいだいているのか。
アメリカの場合、国民の10人に6人が「この国は間違った方向に進んでいる」と考えている。
また、3人に2人が「子供の世代は自分たちの世代より貧しくなる」と憂えている。

イギリスも似たような状況で、フランスやイタリア、ドイツはもっと悲観的だ。
何しろユーロ圏の先行きは不透明で、景気も停滞している。

もちろん、長い目で見れば楽観的なマクロ的予想をすることもできる。
だが人々は限られた時間をミクロな市民として生きている。
みんなリアルな世界を生き、リアルな混乱を経験し、リアルな不満をいだく。
そして今の欧米社会には混乱と不満、怒りが満ちている。
欧米に暮らす私たちは今、「不安の時代」を生きているようだ。

では欧米以外の、世界の「残り」の部分(つまりアジアとアフリカ、中南米)はどうか。
中国やインド、アジアやアフリカの新興諸国(ベトナムやインドネシア、ナイジェリアやエチオピアなど)に目を向ければ、これらの国々に暮らす人々には新たな希望と楽観主義が芽生えている。

欧米の親は子供の未来を案じているが、中国やインド、ナイジェリア、エチオピア、ベトナムをはじめとする新興国の親は子供の将来を楽観している。
ちなみに「残り」の人々は世界の総人口の85%を占める。
つまり「85」派は概して希望に満ち、「15」派は不安と怒りにさいなまれているということだ。

なぜこんなことになったのか?
欧米社会(日本もここに含まれる)は物質的に「残り」の地域より豊かだ。
欧米の人はきれいな空気を吸い、安全で種類豊富な食べ物を口にし、自由で公正な選挙に参加し、個人の能力を伸ばす機会にも恵まれているはずだ。
もちろん比較対照の問題はあり、新たな「怒りの政治」の問題もある。
欧米人は質の高い生活に慣れていて、そうした生活を送る権利があると信じている。
だから給料が上がらず、職を失い、生活が不安定になれば不満をいだき、腹を立てやすい。

ラジオを聴き、テレビやインターネットの情報サイトを見ればわかる。
今では人々の失望感が、あっという間に怒りや憎悪へとふくれ上がっていく。
フェイスブックなどソーシャルメディアはフェイク(偽)ニュースの舞台となり、偽情報は瞬時に世界に広まっていく。

ヨーロッパでもポピュリストやナショナリストの政治家が、いかがわしいスローガンを使って既存の政治家やイスラム教徒や移民への憎悪をかき立てる。
こうしたスローガンは有権者を引きつけるが、有権者が置かれた苦しい状況の救いにはならない。
こんな状況にどうして陥ったのか?

17世紀人間はもともと野卑で野蛮で短命な存在だった。
しかし18世紀後半に始まる産業革命で、欧米諸国では「中流層」と呼ばれる人が増え、大量消費の時代が来た。
西欧諸国は早くからアジアやアフリカ、中南米に植民地を広げ、その豊かな資源を巧みに搾取していたが、産業革命後は搾取の規模もペースも格段に上がり、「残り」の地域との格差をますます広げることになった。

20世紀の初頭まではヨーロッパに世界の人口の4分の1が住み、10大都市のうち9つまでは欧米にあった。
2度の大戦を経た後も欧米は、建設と創造と革新を続け、人々はより豊かに、より健康になった。
教育水準は高まり、自由の幅は広がった。

しかし1980年代になると「残り」の地域が追いかけてきた。
中国は世界の工場となり、貿易額で世界一となった今や世界経済、とりわけアジアと新興諸国の経済に大きな影響を及ぼしている。
インドも90年代から躍進し、この20年で新興市場の輝く星となった。

もちろん、中国にもインドにも問題はある。
中国国民はかつてないほどの購買力を手にしたが、いまだに政治的自由がない。
インドでも中流層は飛躍的に増えた。
しかし国民の大半は今も汚れた空気を吸い、清潔なトイレなど望むべくもなく、ひどい貧困にあえいでいる。

それでも「85」派が楽観的なのはなぜか。
まず、40歳以上の中国人なら、人口の90%近くが極貧だった時代を知っている。
今の極貧人口は10%を下回る。
そして10代半ばから30代のミレニアル世代は本物の不況を知らない。
だから未来は明るいと信じる。
事情はインドやナイジェリア、エチオピア、ベトナムでも大差ない。

「85」派の国にも大都市が出現している。
ドバイや上海、深圳、バンガロールなどで、今やシンガポールや香港に追いつく勢いだ。
新興地域の企業が先進国企業との競争に参戦し、勝利を収める例もある。

中国のアリババ・ドットコムはアマゾン・ドットコムを蹴散らし、滴滴出行(ディーディーチューシン)はウーバーの中国事業を買収した。
イギリスの名門ジャガーはインドのタタ・モーターズの傘下にある。
フィリピンのファストフード市場では、地元のジョリビーにマクドナルドやバーガーキングが苦戦を強いられている。

アジアには世界のGDPの約3分の1が集中し、さらに増えている。
30年までには世界の中流層の3分の2をアジア人が占めているだろう。
米大統領のドナルド・トランプは中国との貿易不均衡を大騒ぎしているが、憂慮すべきは自国と「残り」の諸国における「希望の不均衡」だ。

20世紀の後半、欧米は経済でも貿易でも、政治でも軍事でも大衆文化でも世界を牽引してきた。
その結果、欧米人はさまざまな分野で優越感をいだいた。
もちろん「希望」でも優越していた。
あの頃は欧米の寛容な資本主義が希望をほぼ独占していた。
所得が上昇し、技術が進歩し、国が正しい方向に向かっていると信じられたからだ。

そんな時代は終わった。
今では希望の不均衡が逆転している。
欧米諸国の人々は今、中国やインドや新興諸国の人々に比べると、概して将来に希望をいだいていない。
希望は数値化できない。
しかしアルバート・アインシュタインは言う。
「数えられるものはどうでもいい、数えられないものこそ大事だ」と。
ならば希望は大事だ。

今後、ヨーロッパは希望の欠如で混乱するだろう。
16年のイギリスとアメリカがそうだったように、希望の欠如が暗い影を落とし、左右のポピュリストや民族主義者が大きく躍進することだろう。
特定の集団を「敵」に仕立てるやり口が横行し、外国人の排斥と社会の分断が進み、穏健な中道派は居場所を失うだろう。

世界の85%が希望の時代を生きているときに、15%の欧米諸国は不安な時代を生きているようだ。
この分断が世界を揺るがし、私たちの社会や政治、そして生きざまをも変えていく。
いま必要なのは「15」派が希望を取り戻すことだ。
減税や金利の操作よりも、「85 」派と「15」派が等しく希望をもてる世界をつくり出すことだ。
トランプをはじめ、欧米のポピュリストたちは人々の怒りを増幅させるすべにたけている。
彼らに、希望を増幅させるすべもあることを祈ろう。

by mnnoblog | 2018-01-14 08:15 | 国際

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