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2016年 05月 26日 ( 1 )

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    (日経新聞の記事より)

第一次大戦中、英国とフランスがひそかに中東の分割を決めた「サイクス・ピコ協定」から100年がたった。

恣意的な国家建設につながる両国の密約は、内戦が続くシリアやイラクなど現在の中東混乱の元凶の一つであり、過激化組織ISの「欧州列強に押し付けられた国境を消し去り、イスラム教徒の手で真の国家を建設する」という動機になっている。

中東で国家の枠組みが今ほど揺さぶられたことはない。
「国と国の境界が意味を失いつつある」とカイロ大学のハッサン教授は言う。

「サイクス・ピコ協定」により、イラク、シリア、トルコにまたがって暮らす少数民族クルド族は、ISとの戦いで存在感を強め、国籍に関係なくつながりを深めている。

フセイン政権による独裁のタガが外れたイラクは、イスラム教のスンニ派とシーア派の溝が深まり、国家としての一体性を失った。

シリアは5年以上にわたる内戦で、多くが国を離れざるを得なくなっている。
ISが「国家」を名乗り、イラクとシリアに支配地を築き、100年来の秩序に挑戦している。

エルサレム公共問題研究所のフレディ・エイタ氏は「中東問題の中核には国が生まれた基盤の不安定さがある」という。

戦後、アラブの独裁指導者は国の発展をなおざりにして専制支配体制を築いた。
欧米も「中東の戦略的重要性」を理由に黙認した。

過激派に付け入るスキを与えらのは、中東の国家統治の失敗という側面がある。

※三つの協定
イギリスは第一次世界大戦中に中東問題に対して、以下の三つの協定を結んでいた。

 *1915年10月ーフサイン=マクマホン協定(中東のアラブ独立)
 *1916年5月ーサイクス・ピコ協定(英仏露による中東分割)
 *1917年11月ーバルフォア宣言(パレスチナにおけるユダヤ民族居住地建設)

これにより、第二次世界大戦後のパレスチナ問題や、1921年3月21日のカイロ会議ではガートルード・ベルの意見が採用され、現在も不自然な国境で分断されているクルド人問題など多くの問題を生じた。
  (ウィキペディアの記事より)


by mnnoblog | 2016-05-26 08:37 | 国際

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