私のゆるゆる生活

mnnoblog.exblog.jp
ブログトップ

2017年 05月 03日 ( 1 )

d0187477_12101846.png
  (現代ビジネスの記事より)

英科学誌ネイチャーに、日本の科学研究がこの10年間で失速していることを指摘する特集が掲載された。

論文データベースScopusによると、15年までの10年間に、世界中では論文数が80%増加しているのに、日本からの論文は14%しか増加していない。

特に、コンピューターサイエンス、生化学・分子生物学、そして、日本の得意分野といわれる免疫学で、その傾向が顕著である。

数が減っても質が保たれていればまだしもなのだが、ネイチャーが選定した各分野の超一流雑誌への日本からの論文数も残念ながら低下し続けている。
また、日本の研究者が参加する国際共著論文の比率も続落と、どの指標をとっても退潮の一途であることが見て取れる。

競争力低下の要因はなにか?

文科省は世界トップ拠点プログラム(WPI)などで、トップ中のトップ機関には多額の研究費を配分しているが、先端をとがらせただけでは不十分なのではないだろうか。

数も多く、分野の基盤を形作るべき、おそらくは安定した科学インフラには最も重要なレベルへの手当が不十分になっていて、そのような層が総崩れになっている可能性があるのではないかと危惧している。

元三重大学学長の豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長が15年に報告された「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」というレポートがある。

2002年頃から日本の論文国際競争力が低下し始めていて、13年には人口あたり論文数が世界35位、先進国では最低である、などという内容を含んでおり、今回のネイチャーのレポートよりも衝撃度が高かった。

年次推移などから考えると、競争力の低下は、よく言われるような国立大学独立法人化の影響よりも、公的研究費の削減が最大の問題である、と結論づけられている。

ちなみに、世界中が研究費を増額している中、わが国の科学技術予算は、2001年からほぼ完全に横ばいだ。

確かに、研究費の相対的な低下が競争力低下につながっているのは間違いないだろう。
では、増額したらそれだけでキャッチアップできるかといえば、それほど甘くないのではないか。

研究というのは継続性が必要で一朝一夕にできるものではないし、研究レベルに応じたそれぞれの研究室の足腰の強さとでもいうものが必要である。

生命科学分野に限定したことかもしれないが、近年の研究手法の進歩には著しいものがある。
それ自体は喜ばしいことなのだが、それに伴って必要な研究費も急速に増大している。
だから、超一流とまでいかなくとも、そこそこの雑誌に掲載されるような論文を書くには、相応の研究費が必要である。

いまの公的研究費の総額と配分法から考えると、そのレベルから振り落とされてしまった研究室、いわば、半倒産状態に陥ってしまっている研究室は、地方国立大学を中心に相当な数あるに違いない。

不思議なことに、そういった声は全く聞こえてこないのだが、一旦、そういった状況に陥ってしまうと、再起するのは非常に困難だ。
はたして、この十数年の低落傾向を立て直すには何年かかることだろう。

研究費が足らないから競争力がなくなった、ということに全く異論はない。
ただし、それは十分条件ではない。
十分条件を満たすには、大学というシステムを根本的に見直す必要がある。

適正な競争原理の導入、積極的な任期制の導入、研究者の流動性の向上、使命を終えた部局の統廃合、テクニカルスタッフの充実、高額研究機器の効率的な利用、無駄な会議や書類作成といった意味のない雑用の減少などなど、すでに指摘されている数々の問題点を、これまでやってきたような小手先だけの改革ではなく、本気でクリアしていかなければ、たとえ研究費を増額したところで十分条件が満たされはしない。

このままいくと、日本の科学の将来を論じることの意味すらなくなってしまう時代がやってこないとも限らない。



by mnnoblog | 2017-05-03 08:09 | テクノロジー

のほほんと---


by mnnoblog