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2017年 08月 13日 ( 1 )

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  (DIAMOND online の画像と記事より)

その時々の経済情勢に対して政策の取り組みや課題を示す「骨太の方針」では、これまで「デフレ脱却を確実なものにする」(15年)、「デフレ脱却に向けて大きく前進」(16年)と記すなど、“デフレ退治”が政策の中心に据えられてきた。

それが17年の骨太の方針では、「デフレ」の文字が消滅、政策からも消えた形だ。じつは、毎月の経済情勢を判断する「月例経済報告」でも、2013年12月からデフレの文字は消えている。

こうした背景について内閣府は、「この1年余り、消費者物価指数が前年を下回ることはなく、物価が持続的に下落する状況ではなくなった。つまり、デフレは終わったという認識だ」と話す。

確かに、2012年12月からの景気拡大局面は戦後3番目の長さになり、需給ギャップや雇用の指標も改善している。デフレの時代は終わったかに見える。

とはいえ内閣府は、「『デフレ脱却宣言』をするにはまだ様子をみる必要がある」という。
内閣府が06年3月に作った「デフレ脱却の定義」では、物価が持続的に下落する状況を脱したことに加えて、「再びその状況に戻る見込みがないこと」を挙げているからだ。

この点については、「景気回復のテンポは弱いし、物価もほぼ横這い(前月比0%程度の上昇)の下で、再びマイナスにならないとはいいきれない」と、内閣府は自信なさげ。それを反映してのことなのか、公式の「デフレ脱却」宣言はまだしないという。
こっそりと各文書からデフレの文字を消したというのが実情のようだ。

そもそも「デフレはなかった」と、指摘する専門家もいる。

消費者物価指数(CPI)を、天候などに左右される生鮮食品やエネルギー関連を除いたもので見ると、1998年から前年比マイナスとなって低迷。
2008年にプラスに転じたものの、リーマンショック後は再びマイナスになったため、デフレは続いているとされてきた。

だが、明治学院大学の熊倉正修教授は、「CPIの中身を詳細に分析すると、実はデフレは生じていなかったことが分かる」と指摘するのだ。

CPIは、585品目(2015年指数)程度の価格指数を加重平均して算出されるが、調査対象品目の銘柄変更や、品質調整などの影響を反映している。
基本は、同一の品質、性能を持つ商品やサービスの平均価格の変化を追跡する指数であるためで、新商品が売り出されたり機能や品質が向上したりした場合には、その分を「価格下落」とみなし、価格から差し引く調整が行われているわけだ。

1990年代後半以降、技術の進歩が著しいパソコンやデジタル家電といった情報通信(IT)機器が次々に対象品目に採用されたことに加え、「品質調整」に伴う調整も行われ、IT機器の物価指数は2000年代(2000〜2010年)だけでも年率(平均)17.1%、家電製品を加えると12.9%の下落率となっている。

熊倉教授は、こうしたIT・家電製品を除けば、「実際のCPIは90年代後半から2012年頃までほぼ横這いで、安定して推移している」とし、「名目的な数字にごまかされていただけで、デフレはなかった」と語る。

一方で13年から、CPIが緩やかな回復傾向になっていることについて、政府は「アベノミクスによるデフレ退治が奏功した結果」と喧伝する。

だが、熊倉教授は「アベノミクスは関係ない」と断言する。

熊倉教授は、物価が上昇した理由として、まず、IT機器市場の成熟化を受けて品質調整が見送られるケースが増えたことや、為替レートが円安に振れる中で中国からの輸入品が急増したことをあげる。
その結果、IT・家電製品の物価指数は12年末に下げ止まって、他の品目の上昇率を上回るようになり、逆に総合指数の上昇を下支えする役割を果たすようになった。

もう一つは、人手不足を反映した「労働需給の変化」が要因だという。
高齢化や労働人口の減少に伴って、介護や福祉などの産業で労働需要が急増、人手不足が顕著となって賃金が上がり始めたからだ。

「こうした二つの要因によって物価が上昇しただけ。アベノミクスの時期とたまたま重なっただけで、その効果と物価上昇は関係ない」(熊倉教授)というのだ。

むしろ安倍政権は、医療や介護などの報酬を抑制してきたことに加え、社会保障の安定財源確保のための消費増税も先送りするなど、「介護や福祉分野の賃金やサービス価格を政府が抑え込んで、物価が上がらない方向の政策をとってきた」(同)。

このように考えていくと、結局、「デフレ」の文字が消えたのは、アベノミクスの効果ではなく、統計作成に関する技術的な要因や製造業からサービス業へと産業構造が変化する中で、介護や福祉分野において人手不足、労働需給のミスマッチが起きたことが主な原因ということになる。

金融危機やリーマンショック後、何も手を打たなかった場合を考えれば、マクロ政策が金融不安を抑え、経済を下支えしたことは確かだ。
だが、物価変動の原因という側面から考えれば、アベノミクスは何やら“一人相撲”をとってきたような趣だ。

では、日本銀行が、財政ファイナンスと紙一重である大量の国債を買い入れてまで、力ずくで“統計上”のデフレを退治しようと、必死になったのはなぜなのか。

その理由はずばり、デフレの「定義」がはっきりしていなかったことにある。

戦後、長い間、インフレの方が切実な問題だったこともあって、物価下落に関する認識は浅かった。
バブル崩壊後の不良債権処理の遅れが景気停滞を長引かせる中で、いくら日銀が金利をゼロ近くまで引き下げても、物価が下がり続けていると、それだけで過剰債務を抱えた企業の収益は改善せず、不良債権処理がさらに遅れるといった悪循環に陥りかけた。

そこで政府は01年3月、それまで「物価下落と景気後退が同時に進む」としてきたデフレの定義を、「物価の持続的な下落」に変更して、「デフレ」を宣言。
日銀も「デフレは貨幣の供給量が足りないからだ」との主張に押し切られるように、量的緩和政策に踏み出すことになる。

それまで、デフレは「不況の結果」というのが一般的な考え方だった。
それがいつしか、デフレが「不況の原因」となり、ついには「物価下落はとにかく悪いこと」だというのが共通認識となって、日銀は緩和圧力を受け続けたのだ。

つまり、当初は、不良債権処理を加速させるためにデフレの定義を変更したものの、それが逆に政府や日銀を縛り付ける結果となったわけだ。

そもそも、98年から、日銀の黒田総裁が「異次元緩和」に踏み出す直前の2012年にかけてのCPIの下落率は、年率マイナス0.3%程度だ。
グローバル化による世界的な供給構造の変化やIT化、先進国の低成長を考えれば、CPIは、「物価や賃金が上がりにくい、変化しにくい経済」になったことを示しているに過ぎなかった。
にもかかわらず、日本では「デフレ脱却」が叫ばれ続けたのである。

それはなぜか。「デフレ」と言っている方が、都合の良い面があったからだ。

政治家たちは、「デフレ」を「不況」と言い換えることにより、景気対策を打つことで有権者や業界団体にいい顔ができる上、財政再建や増税といった票につながらない政策に取り組まずに済んだ。
また、企業経営者もデフレを賃金抑制の口実に使うことができた。
日銀もデフレ対策名目で国債を買い上げているいる限り、批判の矢面に立たされずにすむ。

唯一、「本音」でインフレにしたかったのは、巨額の財政赤字を抱える政府だろう。
ただ、現実はデフレというより物価安定に近かったため、賃金は増えなくても物価の下落が暮らしを支えていた面はあったし、退職世代も預貯金の目減りを心配することはなかった。
モノもサービスもあふれた経済で、政府や日銀がもくろんだような「インフレ期待(予想)」から、消費者が商品を買い急ぐことも起きなかった。

「財政や社会保障といった本質的な議論を避けるため、なにもかもをデフレのせいにして、国民に『デフレさえ脱却すれば日本経済の問題は全て解決される』と信じ込ませた。
いわばデフレに濡れ衣を着せてきたわけだ。
日銀もそうした状況を望んでいたわけではなかったが、結果的には加担してしまった格好だ」と、日銀の元幹部は話す。

政府は、密かにではあるものの「デフレ」は終結したと認めた。
となれば、長年に渡って議論を先送りし、目をそらし続けてきた課題について、もはやデフレのせいにできなくなったということだ。
デフレは統計上の“まやかし”であったかもしれないが、そうした課題は、まやかしで済ますわけにはいかなくなったのである。

by mnnoblog | 2017-08-13 08:33 | 経済

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