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2017年 09月 06日 ( 1 )

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  (現代ビジネスの画像と記事より)

「会社を辞めます。働くのが嫌になったので、しばらく何もせずふらふらします」

と上司に伝えたのは28歳のときだった。


そもそも就職した瞬間から辞めたかった。

小さい頃からずっと働きたいという気持ちがほとんどなくて、毎日ごろごろとマンガでも読んで寝て暮らしたいと思っていた。

就職したのは純粋に生活費のためだった。


毎日「突然隕石が落ちてきて会社が潰れたらいいのに」と考えながら生きるのにはもう飽きた。


しばらくは何もせず、ひたすらだらだらと寝て暮らすという理想の生活を送ろう。

上司や会社の人たちからは、

「もっと深く考えたほうがいい」

「この先の人生どうやって生きていくつもりだ」

などと引き止められた。


「人生をドブに捨てるつもりか」

「絶対に後悔するぞ」

などと脅してきた知人もいた。


そもそもこの会社にずっといてどうなるというんだ。

僕があまり仕事ができず職場にもあまり適応していなかったのはみんな知ってるはずだろう。

なのになんで引き止めるんだ。


勤め先が悪い会社というわけではなかった。むしろいいほうだろう。

給料はあんまり高くないけれど、仕事はそんなに忙しくなく、将来的にも倒産しそうにない会社だった。

でもそんなぬるい会社でも勤められないということは、多分自分には社会人は無理だったのだ。


僕は京都大学を卒業したという世間から見ると輝かしい経歴を持っているのだけど、それは単に受験勉強ができたというだけだ。

一人でコツコツ勉強をするスキルと、社会性や仕事能力やコミュニケーション能力は全く違う。

いい大学を出れば将来安泰とか言ってたのは誰だ。

結局いい大学を出ても社会に適応できないダメな人間はダメなままなのだ。


これ以上この職場にいても自分も苦しいし周りにも迷惑がかかるだけだ。

じゃあできるだけ早く辞めるのがいいだろう。

そう思って誰の意見も聞かず、僕は職場を去った。


会社を辞めた僕が向かったのは東京だった。

東京に来たのは正解だった。

多分東京に来なければ、こんなにも長期間にわたってふらふらとした生活を続けられなかっただろう。


もっと田舎や地方に住んでいたら、なんとなく周りの雰囲気に流されて、また就職したり何かの拍子で結婚したりして、そしてその合わない暮らしでまた閉塞感を感じてストレスを溜めて、不幸になっていただろうと思う。


世間一般のルールに合わせられないマイノリティの人間はできるだけ大きな都会に住むべきだ。

なぜなら、都会には自分と同じような性質を持つ仲間がたくさんいるからだ。

田舎のマイノリティは孤立するしかないけれど都会のマイノリティは仲間を作れる。これが大きな違いだ。


僕が上京した当時はちょうどツイッターが流行し始めた頃で、ネットを通じて知らない人に会うことがそれまでに比べてすごく簡単になっていた。

重度のネット中毒だった僕は、ツイッターやブログに毎日のように大量の投稿をし、それを通じてネット上の知り合いを増やし、ネットのいろんな人に会ったりネット関係のイベントに顔を出したりするという生活を続けた。


ネットには自分と同じような、ネット中毒の人間や働きたくない人間が無数にいた。自分と話が合う人間がたくさんいるということがとても嬉しかった。


そんな感じでふらふら遊びながら暮らしていると、働いているときに貯めた貯金もだんだんと底をついてきた。

だけど普通に働くのはもう絶対に嫌だったので、自分みたいな怠惰な人間でもできるような、小銭稼ぎの手段を探した。


治験、アフィリエイト、本やCDのせどり、スマホの転売など、いろいろやった。

そのへんの胡散臭い小銭稼ぎをいくつかやっていれば、あまり贅沢はできないけれどなんとか生活をやっていくことはできた。


あとは、ネットで自分の生活状況を詳しく公開していたせいか、いろんな知らない人が物やお金を送ってくれた。

パソコン、自転車、原付、本、食料品などさまざまなものをタダでもらった。

多分みんな、ネットの変な人に物を送りつけるのを楽しんでいたのだと思う。


そんな生活をしていると、たまに何かの間違いで会った真っ当ぽい人に、

「せっかく京大を出ているのにもったいない。いい服を着ていい車に乗っていい女を抱きたいというような、人並みの欲望は本当にないのか?」

などと言われることもあった。


そんな風に言われても、何を言っているのか全然ピンとこなかった。

服には興味がないし車は嫌いだし、女性は嫌いじゃないけれど、それは別にお金があれば仲良くなれるというものでもない気がする。

モテるかどうかって、もっと気遣いとかそういうところの問題じゃないだろうか。


そもそも、お金が欲しいと思うことが僕には昔からあまりなかった。

むしろお金より時間のほうが大切だった。


毎日通勤してフルタイムで働いてストレスを溜めながらそれなりのお金をもらうよりも、お金がなくても毎日好きな時間に起きてごろごろしながら本を読んだりネットを見たりしているほうがいい。

そちらのほうが自分にとっては幸せだということに僕はあるときに気づいた。

だから会社を辞めたのだ。


何が幸せかというのは人によって違うものだけど、世間や他人は自分の基準を無理矢理に押し付けてくるところがある。

全く余計なお世話だ。

僕はそういう意見を全く耳に入れないことにしていた。


「無職だと不安にならない? 自分が何者でもないような状態って心細くない?」

みたいなことを言われることもあったけど、これも意味がよくわからなかった。


むしろ僕は働いているときのほうが不安だった。

会社の仕事なんていう自分の本質と何の関係もないものに1日の大半の時間を使っている状態のほうが、自分が何者なのか分からなくなって苦しい感じがあった。

自分はこんな人間じゃないんだ、こんなことをしたいんじゃないんだ、とずっと1日中思っていた。


それに比べると無職の状態は、全ての時間を自分の好きなように使えるから、これこそが自分だ、自分の人生だ、と思えた。


無職になったくらいで自分が何者でもないような気がする人は、自分が何が好きでどういう人間かということを、今まであまり考えてこなかったのではないだろうか。


その頃の僕は、東京都内のいろんなシェアハウスを1ヵ月〜数ヵ月ごとに転々としていた。

無職でもシェアハウスは入居しやすかったからだ。


普通の家を借りるのには、敷金・礼金・仲介手数料・家具や家電を買うお金など、すごくたくさんのお金がかかる。

あと、保証人をつける必要があったり、勤務先などで審査されたりもする。

無職には到底無理な話だ。


そんな風に転々としたシェアハウス暮らしを続けているうちに自分にはやりたいことが一つできた。

それは「自分で自分好みのシェアハウスを作る」ということだ。


ネットで僕がよく会うような、自分と趣味や好みが似ている人、お酒を飲んでワイワイ騒ぐよりももくもくと本を読んでいるほうが好きな人、普通に会社で働くのが苦手な人、パソコンやゲームや本や音楽が好きな人、そういう人が集まるシェアハウスがあったらいいのに。


僕のイメージとしては、大学時代に住んでいた寮があった。

その寮はとにかく汚くてボロくて、学校に行かないダメな学生がたくさんいて、みんな一日中ゲームをしたりマンガを読んだりしていた。

あの頃は楽しかったなあ。

またあんな場所を作れないだろうか。


そんな願望をブログに書いたら、

「家が1軒空いてるけど借りない? 3LDKの分譲マンションなんだけど」

と、ネットの知り合いから連絡が来た。

おお、本当か。渡りに船だ。僕は二つ返事で了承した。


そうして、現在では全国に数十軒あるギークハウスの最初の1つ「ギークハウス南町田」が東京都町田市に誕生したのだった。


29歳のときに最初のシェアハウスを作ったときには、ちゃんと人が集まるか不安だった。

誰も人が住まなくて自分1人でも、半年くらいは頑張ってみよう、と思っていた。

だけどその心配は杞憂で、ブログに入居者募集の記事をあげるとすぐに応募者がたくさん来て、部屋はすぐに埋まった。


シェアハウスといえば、容姿の良い若い男女がお洒落なパーティーをしたり未来について語り合ったりするみたいなキラキラしたイメージがあったりするかもしれないけれど、僕が作りたいシェアハウスはそれと真逆なものだった。


もっと地味で内向的な人間がもくもくと何かをやっているのがいい。

おしゃれなパーティーなんかに反感を持っている奴を集めたい。

みんな本を読んだりゲームをしたりそれぞれが好きなことを勝手にしているようなのが理想的だ。


そんなコンセプトに共感する人が意外と多かったのか、シェアハウスを始めるとすぐにいろんな人が集まってくるようになった。

シェアハウスのよいところは、個人の家よりも人が気軽に遊びに来やすいというところだ。


うちに集まるのは基本的にネットの人間ばかりなので、みんなツイッターのハンドルネームで呼び合う。


人が集まっても大体の場合あまり会話はせず、それぞれが自分のノートパソコンを広げて画面に向かっている。

誰も他人に向かってほとんど気を遣わない。

みんな勝手に玄関から入ってきてそのへんに座り込んで、ネットを見たりブログを書いたりプログラミングをしたりと好きなことをしている。


でもこういう空間を自分は作りたかったのだ。

自分が自分のために作った自分好みの空間はとても居心地がよかった。


僕が無職だったせいか、シェアハウスに集まるのも同じようなふらふらしている人間が多かった。

無職やニートやひきこもり。フリーランスのプログラマーやライター。ウェブでマイナーな漫画を発表している漫画家。

会社員だけど出社が苦手であまり出社しない奴。


いろんな人間がいたけれど、何らかの能力を持ちつつも学校や会社や家族にうまく適応できないというところがみんな共通していた。


そうした全部の人間をスムーズに受け入れられたわけではなかった。

たまたま気が合って長く付き合う仲間になった奴もいるけれど、基本的にはみんなクズばかりなので、

「こいつ本当にクソだな、もう付き合いきれん」

とか思って放り出した奴も多かった。


「弱い者たちがお互い助け合って生きていく」なんていうフレーズがあるけれどあれは嘘だ。

大体の場合は「助け合い」にはならず、助ける側の人間はずっと助ける側で、助けられる側の人間はずっと助けられる側だ。


だけど、それでまあいいのだと思う。

助ける側がそれで損ばかりしているのかというとそうでもない。

助ける側は助けることによって精神の安定を得たりとか、暇潰しになったりとか、何か得るものがあるから趣味で助けているのだ。


こんな非生産的で時間が止まったようなシェアハウス暮らしを続けて今年で10年目になる。

もう10年も経ったのか、と考えると少し気が遠くなる。

一体いつまでこんな生活を続けられるだろうか。


僕はもうシェアハウス以外でどうやって人と仲良くなればいいのかが分からなくなってしまった。

この先ずっとこんな風に、よく分からないシェアハウスに変な人間を集め続けるという生き方を続けるのだろうか。

死ぬまでずっと? できるかなあ。どうなんだろう。


pha(ふぁ)作家。1978年生まれ。小さい頃から労働意欲に欠け、京都大学を卒業して適当な会社に入社するも3年で辞め、以降ふらふらと定職に就かずにシェアハウスで暮らしている。著書に『持たない幸福論』『しないことリスト』『ひきこもらない』などがある。


by mnnoblog | 2017-09-06 08:25 | 生活

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