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2017年 09月 14日 ( 1 )

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  (現代ビジネスの画像と記事より)

NHK朝の連続テレビ小説の『ひよっこ』がいい。

これまでの連続テレビ小説とは少し違う。


大雑把にいえば、これまでの連続テレビ小説は〝積み上げていくドラマ〟であったのに、今回の『ひよっこ』は〝失われたドラマ〟なのだ。

でも、哀しくはない。
喪失の哀しみは描かれていない。
後半にかけて回復のドラマとなるかとおもうが、とにかくつねに喜びの物語になっている。

連続テレビ小説では、元気な女性の半生が描かれることが多い。
主人公は最初、子供だったりする。
1週目だけ子役が演じ、6話ぐらいにになって学生時代のヒロインが登場する、というのがよくあるパターンだった。

ヒロインは迷いながらもやりたいことを見つけ、夢を抱き、目標に向かってがんばる。
おしんは、見事に成り上がりました(1983年)。
元気に前向きな彼女たちを見てみんなで元気になろう、というのが日本の了解事項だったようだ。

成功者の物語が続くなか、『ひよっこ』はあきらかに異質である。
物語は、夢など抱いていないふつうの女の子を描いている。
夢や希望を追うばかりが日本人の人生ではないだろう、と静かに強く訴えているようにおもえる。

舞台も大正から昭和、戦争、戦後などと慌ただしく進んだりしない。
物語は昭和39年(1964)の9月から始まり、9週目で昭和40年暮である。
急がずに進んでいる。

1960年代の日本がゆっくりと広がっていく。
いまから見ると、ちょうどこのあたりが現代日本の原風景に見える。
その風景が細かく、心地いい。
1960年代を再現した風景に心打たれる。

このドラマに惹かれるのは、しかし、そこではない。
主人公みね子の佇まいに引き寄せられる。

何かを掴もうとしているわけではない。

ふつうに生き、なるべくいろんなものを取り落とさないようにしている。

しかしいくつか取り落として進む人生を、それでもしっかりと生きて行く。

いまを受け入れ、落ち込まず、きちんと生きていく姿。

そこに圧倒的に惹きつけられる。


『ひよっこ』の主人公は、茨城県でも鄙深い田舎の高校生である。

大きな夢を抱くわけでもなく、とびぬけて元気なわけでもない。

ただ、やさしい。


彼女は自分といまを受け入れている。

底から強い。


このドラマは、生き生きとしたリアルな善きエピソードをたくさん集めて、それを重ねて作り上げている。

1960年ニッポンのファンタジードラマ。


哀しいドラマではない。

せつなくなることはしばしばあるが、基本は陽気である。

1960年代の空気を反映したコメディタッチが底に流れている。


主人公みね子は、高校のときから働ぐの好きだと言って、いつも身体を動かしていた。

彼女を囲む人たちもみんなそうである。

こういう人たちがいれば日本は大丈夫だとおもわせる、きちんとした生活人である。


そういう人たちの姿を丁寧に描いていて、それだけなのだけれど、だから世界がとても力強く見える。


彼女は疾走しない。

強く上昇しようとしない。

自分探しなどしない。

やることをしっかりやって、歩いている。

ときどき何かが失われるが、それでも歩みを止めない。

たしかに、人生はそういうものである。

成功するばかりが人生ではないし、夢を抱えている人だけが日本人ではない。


若者に夢を持てと励ますのは、大人のわがままであり、無茶振りであり、ある意味、脅迫ではないのか、と私はおもっているのだが、このドラマも同じようなメッセージを含んでいるように感じる。

大事なのは夢を持つことなんかではなく、しっかり生きることではないのか。


人にやさしくして、きちんと生きようという世界を毎日見ていると、かなり幸せな気分になれる。


『ひよっこ』は毎日みましょう。朝と昼とにやってます。

堀井 憲一郎:1958年生まれ。京都市出身。コラムニスト。
著書に『若者殺しの時代』『落語論』『落語の国からのぞいてみれば』『江戸の気分』『いつだって大変な時代』(以上、講談社現代新書)、『かつて誰も調べなかった100の謎』(文藝春秋)、『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)、『ねじれの国、日本』 (新潮新書)、『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)などがある。

by mnnoblog | 2017-09-14 08:03 | 生活

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