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カテゴリ:社会( 155 )

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  (NEWSWEEK の記事より)

カネが世界を動かし、選挙の流れを決め、権力の担い手を決めている。
アメリカをはじめとする先進国で進行する富の集中は、社会と民主主義の安定をじわじわと危険にさらしている。
富の集中は温暖化と並んで、現在の世界を崩壊させる恐れがある最も深刻な長期的問題だ。

今のように国家の富がひと握りのエリートに集中しているのは、第一次大戦直後や19世紀後半以来のことだ。
この流れは加速しているから、いずれ富の集中レベルはアメリカの歴史上で最悪になるだろう。

富の集中が、グローバル化というもっと目に見える変化と組み合わさると、ポピュリズムが高まり、民主主義は衰退する。
ますます限られたエリートに権力が集中して、大衆はブレグジット(イギリスのEU離脱)のような自滅的選択をし、まともに本も読めないドナルド・トランプ米大統領のような権威主義的デマゴーグを選び、民主主義は直接脅かされる。

このことはデータにはっきり表れている。
アメリカでは所得トップ1%の世帯が国家の富のほぼ40%を握っており、下位90%の世帯は富の約23%を占めるにすぎない。

フランスの経済学者トマ・ピケティが、ベストセラーとなった著書『21世紀の資本』で指摘したように、
「資本は自己増殖する。ひとたびその仕組みが確立されると、自己増殖のスピードは、生産によって(国民の所得が)蓄積されるスピードを超える。過去が未来を貪り食うのだ」。

富の集中は、市場経済を採用する先進民主主義国に共通するものだ。
ただしアメリカが世界で覇権的地位を築いて以来、社会・政治・経済のあらゆる分野で、アメリカで起きたことは約15年後に世界各地で顕在化する。

市場経済では、富の集中は自然発生的な現象だ。
投下資本に対する利益は、時間がたつとともに所得を上回る。
だから労働者がどんなに懸命に働いても、あるいはどんなに賃金が上昇しても、投資家の富が国富に占める割合は高まる。

その潮流は金持ちにとっては急速なもので、彼らは大海を手に入れられる。
一方、金持ち以外は、自分が乗ったボートが沈まないように必死でこぎ続けなければならない。

富の集中が民主主義に緊張をもたらしていることは、アメリカと世界の市場経済民主主義国ではっきり見て取ることができる。

格差の拡大は、社会の緊張も高めている。
富の集中の進行と、適度に規制された市場経済の衰退は、豊かで平和な民主主義の存続を脅かす。

富の格差が拡大すると(実現済み)、社会の緊張が高まり(実現済み)、これまでにないほど民主主義が緊張にさらされる(実現済み)。
その次は、為政者のクビが飛ぶ。



by mnnoblog | 2018-02-10 08:55 | 社会
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  (DIAMOND online の画像と記事より)

景気は着実に回復・拡大を続けている。
1月の月例経済報告は「景気は、緩やかに回復している」として基調判断を前月から引き上げているし、政府経済見通しも「消費や設備投資など民需を中心とした景気回復が見込まれる」としている。

新年を迎え、民間の各社が公表した経済見通しも、総じて明るいものが多かった。
こうした状況を反映して、雇用情勢も絶好調である。
失業率は、これ以上、下がるのは難しいとい思われる水準にまで低下しており、有効求人倍率はバブル期を上回り、高度成長期に迫る水準となっている。

しかし、雇用情勢の絶好調は、単に景気好調によるものではなく、底流にある「長期的な少子高齢化による労働力不足が、景気回復で表面化したもの」と捉えるべきだ。

日本人は、勤勉で倹約家である。高度成長期の日本人は、懸命に働いて大量に物を作り、倹約に努めて少量の消費で我慢したから、企業が工場建設のための資材を調達することができたし、人々が貯蓄に励んで銀行に預金したから、企業は銀行から設備投資資金を借りることができたのだ。

しかし、高度成長が終わりバブルが崩壊、企業が設備投資をする必要がなくなると、こうした勤勉と倹約が日本経済の弱点となった。
人々が勤勉に働いて大量の物を作っても、倹約して少量しか買わなければ、作られたものは売れ残る。
そこで、売れ残ったものを輸出すると、輸出企業が持ち帰ったドルを売るのでドル安円高になり、輸出は無限には増やせない。

そこで企業は生産を減らし、雇用を減らした結果、失業が増えた。
そうした失業者を雇ったのが政府の公共投資であり、そのための費用が莫大な財政赤字となったのである。

少子高齢化によって、労働力となる若者が減り、引退する高齢者が増えると、労働力不足となる。
その結果、バブル崩壊後の長期不振時代の最大の問題であった失業問題が、自然に解決してしまったのだ。
高齢により引退する労働者が、「自発的かつ永遠に」失業を引き受けてくれたからである。

失業者が減ったことにより、今まで就業をあきらめていた高齢者や、子育て中の女性なども仕事が見つかるようになった。
また、いわゆる「ワーキングプア」と呼ばれる人たちの生活も、マシになった。

労働力不足によって非正規労働者の時給も上昇しつつあり、雇用も安定してきた。
現在の職場が雇ってくれなくても、すぐに次の仕事が見つかる。
失業者やワーキングプアといった、恵まれない人々の状況が改善するのは素晴らしいことだ。

一方で、労働力不足により、ブラック企業も存続が難しくなりつつある。
「辞めたら失業者だよ」という、経営者の脅しによって辞めることを思い留まっていた人たちが、辞めても次の仕事がすぐ見つかるようになったからだ。
これもまた、素晴らしいことだ。

日本企業は、生産性が低いと言われる。
生産性の測り方にも問題があるとは思うが、その話は別として、生産性が上昇していないことは間違いない。
その一因は、ゼロ成長によって企業が新規の設備投資をしていないため、最新の生産技術が生産現場で使われていないからだ。

もう一つの原因は、日本企業に「省力化投資」のインセンティブが小さかったことだ。
例えば、安い労働力が容易に入手できるなら、飲食店は自動食器洗い機を買わず、学生アルバイトに皿を洗わせるだろう。
だが、労働力不足になると、飲食店が自動食器洗い機を買うようになる。
そうした流れが加速すれば、単に労働力を機械に置き換えるのみならず、最新の皿洗い技術が広く使われるようになる。

日本企業がこうした省力化投資に不熱心だったこともあり、日本経済には「少額の投資で大幅に労働生産性を高める余地」は大きい。
今のような状況が続けば、そうした投資が今後一斉に行われるはずで、そうなれば日本経済の生産性は大幅に向上するだろう。

このように、労働力が増えなくても労働生産性が上がれば、経済成長は十分に可能だ。
少子高齢化による労働力不足で日本経済の成長は見込めない、と言われているが、そうとは限らないのである。

また、財務省が必死に財政再建を目指しているのに、財政赤字がなかなか減らない一因は、増税が難しいからだ。
政治的に不人気なこともあるが、増税をすると景気が悪化してしまうことが大きい。
景気は、税収という"金の卵"を産む鶏なので、景気が悪化すれば増税が逆効果となってしまいかねない。

しかし、労働力不足が本格化し、増税をしても失業が増えない時代になれば、「気楽に」増税できるようになる。
もしかすると、労働力不足による賃金上昇がインフレを招き、「増税によって景気を悪化させ、労働力不足を緩和してインフレを防がなければ」という時代がくるかもしれない。
そうなれば、増税は財政再建と、インフレ対策の一石二鳥となり、気楽にかつ頻繁に行われることだろう。

バブル崩壊後の日本経済の深刻な問題が一気に改善することを考えると、今後当面の日本経済は、「黄金時代」と呼んでいいのではないだろうか。

そうした中、労働力不足だから外国人労働者を活用しようといった話が経済界などから聞こえてくるが、「経済界の利益は日本の利益ではない」ということを明確にすべきだ。

外国から大量の労働力が導入されれば、日本人の失業者やワーキングプアが増え、ブラック企業が生き延び、日本経済の生産性は向上せず、失業対策の財政出動で財政赤字は拡大するからだ。
デフレ不況が再燃すれば、企業経営者だって困るはずだ。

そうした事態を招かないためにも、「労働力不足」を「仕事潤沢」と呼び換えて、これは望ましいことなのだと印象づける必要がある。
日本経済の黄金時代を、日本人自身の誤った選択で壊してしまわないために。

by mnnoblog | 2018-02-09 08:05 | 社会
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  (日経新聞”春秋”の記事より)

最初は驚き、やがて、怖くなる。
最近、中国発のニュースで伝えられる人工知能(AI)やインターネットを駆使した監視システム「天網工程」のことだ。

14億人の身分証などを中心としたデータベースと、全国各地の2千万台もの街頭カメラがその根幹をなしている。

個人を識別する機能で、信号無視といった違反の取り締まりや犯罪者の摘発に威力を発揮するそうだ。
それだけならまだしも、スマートフォンの位置情報や買い物の履歴から、市民の日常もつかめるようになるらしい。

北京市の公園のトイレには顔認証でぺーパーが出る仕組みまで導入されたと聞けば、空恐ろしくもなる。

雑踏に投網を打つような情報収集は、人々の幸福な暮らしに役立つものなのだろうか。

「習近平国家主席の思想を憲法に書き込む方針」といったニュースを合わせて耳にすると、事態は正反対のようだ。
政権にたてつく人物や予備軍をマークする目的が見え隠れする。
ネットでの検閲対象語「敏感詞」も増加の一途という。

人間を労役から解放し、情報格差をなくすはずのAIやネットが、人の自由を縛りつつあるとみえる。

歴代の王朝は国内の統治や思想の統制に知恵を絞ったが、今、現れ始めたのは、電脳の宝刀を手にした新たな装いの国のようだ。

手法を学ぼうという指導者が出てくるかもしれない。
願わくは、世界の標準にならぬよう。

by mnnoblog | 2018-02-05 08:04 | 社会
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  (NEWSWEEKの記事より)

政治家や著名人の不祥事や失言を糾弾するのがメディアの専売特許だったのは今は昔。
インターネットが普及した90年代後半以降、匿名という特性を活かしたネット民による過激な発言は苛烈を極め、数々の炎上騒ぎを巻き起こしている。

そんなメディアとネット民の双方による過剰なバッシングに、日本社会から寛容さが失われていると感じる人も多いのではないか。

なかでも不寛容さが垣間見えるのが、芸能人の不倫報道だ。
昨年も大手週刊誌が毎週のように芸能人や著名人の不倫現場をスクープ。
今年に入ってからも早速、大物ミュージシャンの不倫疑惑が大々的に報じられ、引退に追い込まれている。

不可解なのは、不倫関係が明らかになった当事者の謝罪会見だ。
本来、謝罪すべき相手は自身や不倫相手の伴侶であり、なんら迷惑を被っていない視聴者や読者ではないはず。

もちろん、芸能人だけに広告に起用した企業や出演番組などの関係者、そしてファンや支持者に向けてのことかもしれないが、果たしてカメラを前に謝る必要があるのか、なぜ人々が他人の不倫をこれほど糾弾するのか、違和感を覚えてしまう。

なぜ日本人はこれほど不寛容なのだろうか。

精神科医の視点から不寛容な日本社会に切り込んだ、昭和大学医学部の岩波明教授に話を聞いた。

「多民族で構成され、さまざまな価値観と触れ合う欧米諸国と違って、ほぼ単一の民族で構成され、比較的同質的な集団の中で育っていく日本では、思考や価値観が似たものとなり、そこから外れた異質な存在を排除する傾向にあります」

つまり不寛容さは、日本特有の「同質性社会」が大きな原因ということ。

そんな不寛容社会・日本を思い起こさせるのは、不倫報道だけではない。
同じく昨年多くのメディアが取り上げたのが、東京の築地(中央区)から豊洲(江東区)への市場移転問題だった。

膨れ上がる事業費など多くの問題が浮き彫りになったが、最も耳目を集めたのが移転予定地の土壌・地下水汚染だ。環境基準を超える有害物質が存在し、それらを封じ込めるための盛り土がなされていなかったことが明らかになった。

これにより、多くの市場関係者や都民が豊洲への移転に猛反発。
二転三転したあげく、東京都は汚染対策の追加工事に着手し、小池百合子都知事が今年10月の市場移転を決定したものの、市場関係者や都民の不安は完全に拭い去られたとは言いがたい。

都が設置した専門家会議の平田健生座長は「安全性には問題がない」という見解を示している。
また、そもそも豊洲市場では地下水を使用しないため、法律的には飛沫を防止すればよく、地下水の水質を測定する義務もないのである。

加えていえば、築地市場の土壌からも水銀や鉛、ヒ素やフッ素といった基準値を超える有害物質が検出され、しかも都の調査によれば場内には500匹とも2000匹ともいわれる大量のネズミが生息しているという。

豊洲と築地のどちらが安全か。科学者らは「100%の安全」すなわち「ゼロリスク」を追求する風潮に警鐘を鳴らすが、報道の過熱や、反対意見を持つ者を攻撃するネット上の感情的反応にも、科学的な視点を欠いた不寛容さが顔をのぞかせている。

不倫報道や豊洲移転問題ほどではないかもしれないが、受動喫煙防止対策を端緒とする喫煙者へのバッシングも不寛容さを感じる一件だ。

東京都でも昨年10月、家庭内や自動車内での喫煙を規制する「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」が議会で可決され、今年4月からの施行が決定。さらに、都は独自で厚労省より厳しい条例の導入も検討している。

こうした動きに、嫌煙派のネット民は大喝采。関連する掲示板には喫煙者の人格すら否定するような不寛容なコメントがあふれ返っている。

岩波教授はこう語る。

「たばこの場合、規制の内容はともかく、僕ら医学関係者から見て不思議なのは、ではアルコールはどうなのかということ。
アルコール依存症は内臓のみならず脳にもダメージを負う恐ろしい病気です。
現在、患者数は何十万人にも及び、治療には莫大な税金が使われている。
そうした観点から見た場合、なぜたばこばかりでアルコールが規制されないのかというアンバランスさを感じます」

アンバランスな規制には医学的な疑問符が付くが、たばこ規制強化の背景には喫煙者バッシングにつながる不寛容さがあるということかもしれない。

必要なのは一方向だけの意見に惑わされない、冷静さを伴った客観的な視点だ。
それがあれば不寛容さを廃し、日本はさらなる発展を遂げられるのだろうか。

by mnnoblog | 2018-02-04 08:30 | 社会
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  (PRESIDENTの記事より)

企業のニーズに合う学生を養成する大学が台頭。旧来の伝統校や偏差値上位校に有利だった就職戦線地図が、塗り替えられつつある。

大分空港からリムジンバスで30分。
別府市内に着くと再び乗り換えたバスに揺られながら山道を登っていく。
日光のいろは坂のように険しい坂道を蛇行しながら進むこと15分。
別府湾と市街を見下ろす頂上付近に立命館アジア太平洋大学(APU)のキャンパスがあった。

2000年に開学。
地上と隔絶されたこの辺境の地で約5800人の学生が学ぶ。
しかも約半数を世界83カ国・地域の外国人留学生が占めるという文字通り日本屈指の国際大学である。
しかし、それだけではない。
開学10年余にして卒業生の多くが超難関企業に就職。
旧来の伝統校や偏差値上位校に有利な就職戦線地図を大きく塗り替えようとしている。

11年度の就職先には、三菱重工、新日本製鉄、神戸製鋼、旭化成、小松製作所、住友化学、ソニー、東芝、野村証券、三井住友銀行、三菱商事、丸紅、武田薬品工業、電通、博報堂といった一流企業がずらりと並ぶ。
APUの就職率は95.1%であるが、難関の一部上場企業への就職率は約36%を誇る。

なぜ、APUの人気が高いのか。
言うまでもなく日本企業が渇望するグローバル人材の資質に優れているからだ。

「1つは中国や韓国に限らず、アジアやヨーロッパを含めて幅広い国や地域の学生が集まり、特定の国に偏らない多様な人材が豊富であることです。
2番目は日本語教育にも力を入れ、外国人の日本語レベルが非常に高い。
3番目は市街から離れた修学環境に適した立地にあり、実際に非常に勉強しておられる。
4番目はキャリア支援の事務局と学生との連携が非常に密であり、日本企業への就職に力を入れていることです」

高い異文化受容力、海外志向、国境を越えたコミュニケーション力。
これが企業が求めるグローバル人材のポテンシャルであるとすれば、APUは明らかに企業のニーズを踏まえた教育を実践している。

APUに限らない。
04年に開学した秋田県の公立大学である国際教養大学も100%の就職率を誇る。
1学年の定員は150人と少ないが、グローバル人材の養成という明確な育成ビジョンを掲げ、英語のみで授業を行うほか、1年間の海外留学を義務づけるなど従来の日本の大学にない特色を持つ。

人事部が注目する大学・学部

1.立命館アジア太平洋大学(2000年開学)

中国・韓国だけではなく、世界80カ国以上の優秀な留学生が学び、日本語教育に注力し、日本語のレベルが非常に高い。学生の半数を占める日本人学生は講義と大学寮での外国人との生活に揉まれ、グローバル人材の素養を身につけている。

2.国際教養大学(2004年開学)

教員の半数を外国人が占め、すべての授業を英語で実施。1年間の海外留学を義務づけ、留学先大学で約30単位を取得。帰国後のTOEICは900点以上。少人数授業とグローバル人材に必要なリベラルアーツ教育に注力。

3.早稲田大学 国際教養学部(2004年開設)

英語による徹底した授業に加え、約3割の外国人留学生との交流、2年次後半からの1年間の海外留学を通じてグローバル素養を修得している。大規模講義のイメージの強い早稲田大学にあって1クラス約25人と少人数形式の授業。

4.国際大学 国際経営学研究科(1988年開設)

日本初の100%英語によるMBAプログラムを導入した大学院。全寮制を原則に50カ国以上から集まる学生と教員が多文化・多国籍の環境下で学ぶ。グローバル・リーダーの養成を目的とした実践形式の授業に注力。

5.慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス・SFC(1990年開設)

総合政策学部・環境情報学部の文理融合で、両学部の授業を学生自ら自由に組んで受講できる。カリキュラムの中核となる100近くの多様な研究プロジェクトに所属し、自主性・創造性を磨いている。

6.立教大学経営学部(2006年開設)

産学協同の少人数プロジェクトによるビジネス課題解決の実践的学習を1年次から3年次まで繰り返す。そこで培われるプレゼンテーション力やコミュニケーションスキル、チームワーク力は即戦力として魅力的。

7.金沢工業大学(1965年開学)

1週間単位で知識や技術の達成度を評価しながら能力の向上を図るポートフォリオシステムを採用。修学アドバイザー(クラス担任)による個人別指導の評価は高い。卒業後のキャリア像を考えさせるための職業指導を徹底する。

8.豊田工業大学(1981年開学)

1年次全寮制教育と徹底した少人数形式による授業で工学系の基礎的能力への評価が高い。産業界と連携した「産学就業力向上委員会」を設置。アカデミックアドバイザー(教員)と事務局が一体となって第一志望企業への就職を目指している。


by mnnoblog | 2018-01-25 08:07 | 社会
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  (PRESIDENT Online の記事より)

いざ人前で話すことになったとき、よくご相談いただくお悩みが「緊張してしまう」ということ。
緊張して声がふるえてしまう、心臓がドキドキする、頭が真っ白になる……など嫌な感覚ですね。

なぜ緊張しているかというと「うまくできるかな」「下手と思われないかな」と自分に考えがいっているからです。
このように自分のことを考えるのではなく、「相手にわかりやすく話したい」と、軸が自分から相手に向いたら緊張しなくなります。

緊張の立て直し方を3つ、お伝えしましょう。

緊張すると頭が真っ白になり、何を言っているのか自分でわからなくなります。
緊張していることに集中するため、より緊張が増幅してしまう状態です。
ですから、緊張とは違うところに集中すればいいのです。
そのとき集中しやすいのは“痛み”の感覚です。

取組前に顔や体をたたき気合を入れる関取がいますよね。
そんなふうに私たちも緊張を感じたら自分に痛みを与えるとわれにかえります。

表立ってつねったりできないときは、手を力いっぱいグーにしてから開いたりしてもよいでしょう。

緊張という感覚に力みという刺激を上書きすると、緊張していないゼロの状態に戻すことができます。
そしてゼロをさらにプラスにする対処法はズバリ“タイトルに戻る”ことです。

「何を言っているかわからなくなってしまいましたが、要するに私が言いたいのは、新商品として○○を提案したいというお話なんです。もう1度、こちらをご覧ください」と立て直せばいいのです。
自分の緊張や混乱も告白することで共感や応援も得られます。

この方法のオトクなところは、自分は緊張しただけですが、お題を繰り返したことで「まとまっていて、わかりやすいプレゼンだった」という印象を与えること。
タイトルを再度言うのは、聞いている人にとっても、おさらいになるのです。
これが立て直し方の2つ目です。

3つ目は、言うことを忘れたときの立て直し方です。
このようなときは原稿を見てもOKです。
原稿は見てもよいのですが、必ず顔を上げなければならない部分があります。
それは、“結論”と“感情”を語るところです。
原稿を見ていたのでは心から思っているように見えないからです。

by mnnoblog | 2018-01-11 08:25 | 社会
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  (日経新聞の記事より)

Q CPU(中央演算処理装置)にどのような問題があったのか。

A 欧米の情報セキュリティー専門家からの報告によると、アプリ間の連携に関連する欠陥「スペクター」は、インテルなど3社に共通する問題だという。
もう一つの「メルトダウン」は、アプリと基本ソフト(OS)の間のデータのやり取りに関する欠陥で、現在のところインテルのCPUに固有の問題とされている。

Q 問題を放置すれば、どのような被害が想定されるのか。

A 米グーグルの情報セキュリティー専門家によれば、ハッキングされれば、メモリーに保存しているパスワード、暗号データを解読する電子鍵、機密データなどが盗み出される恐れがある。

Q すでに被害は発生しているのか。

A CPUを標的にした攻撃プログラムは見つかっておらず、被害も報告されていない。
またCPUをハッキングするまでとても複雑な手順が必要で、情報を盗み出すまでのハードルは高い。
すぐに被害が発生するような状況ではないとの声がある。

経済産業省の関連団体であるJPCERTコーディネーションセンターは、危険性は低いとの見解を出している。
ただ攻撃プログラムの開発は水面下で始まっているとみるセキュリティー専門家もいる。

Q どうすればパソコンやスマートフォンを守れるのか。

A 利用者はOSを常に最新の状態に保つことが求められる。
このほか、CPUに搭載されたソフトの更新も必要になる可能性がある。
インテルなどは業界全体での対策の検討を進めている。

CPU(中央演算処理装置)に起因するセキュリティー上の脆弱性が明らかになった問題で、米インテルは4日、過去5年間に製品化したパソコンやサーバー向けCPUの半数以上で脆弱性を補う更新を実施したと発表した。
CPUを制御する「ファームウエア」を修正した。
来週末までには「90%以上のCPUに対して更新を行う」としている。

発覚した脆弱性は悪意がある攻撃により、CPUで処理している情報を盗み見されるリスクがあるというもの。
実被害は報告されていないが、インテルのCPUでは2種類の懸念が指摘されており、パソコンやクラウドサービスで使われるサーバーのCPUでの世界シェアが高いことからも対策が急がれていた。3日に開いた電話会見では「数日内に更新を行う」と説明していた。

同問題では、マイクロソフトやグーグルのようなパソコンやスマートフォンの基本ソフト(OS)を提供する企業もすでに、OSの更新で脆弱性を補う対策をしている。
同じCPUメーカーであるアドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)や、CPUの設計を担う英アーム・ホールディングスも含め、ウェブサイトなどで対策状況を逐次公表している。

by mnnoblog | 2018-01-06 08:01 | 社会
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  (読売新聞の記事より)

警察庁は来年度から、70歳以上の高齢ドライバーが運転免許更新時に受講する高齢者講習で、新たな視野検査を試験導入することを決めた。

視野障害は高齢ドライバーによる事故原因の一つとされており、同庁は正式導入についても検討を進める。

視野障害は、視界の一部が見えなくなる症状で、自覚しないまま進行することが多い。
症状が進行すると、信号を認識できなくなるなどの影響が指摘されている。
視野が狭くなる緑内障は、40歳以上の20人に1人が患っているとされる。

現行の高齢者講習でも水平方向の視野検査が実施されているが、新たに開発した視野検査器は上下方向も検査でき、精密な判定が可能という。
新検査は、一部の教習所で約1000人を対象に試行する。
視野障害と判定された場合でも、免許の更新はできる。

同庁は、専門医らで構成する有識者会議の分科会で試験結果を検証し、視野障害があったドライバーに対する安全指導についても議論を進める。

by mnnoblog | 2017-12-26 08:51 | 社会
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  (NHK NEWSWEBの画像と記事より)

12月は日が短くなることなどから、交通事故の発生件数が年間で最も多くなります。
年末にかけて、夜間の運転は、特に気を使わなければなりません。

こうした中、ことし、警察庁は車のヘッドライトを上向きにするハイビームをきちんと使えば夜間の事故を減らせた可能性が高いという調査結果を発表しました。
ただ、ドライバーからは、戸惑いの声も聞かれます。

ツイッターではハイビームについて、「切り替えは面倒だ」、「まぶしいからやめてほしい」という意見が見られます。
「ハイビームを使うと相手を煽っているようだ」、「トラブルに巻き込まれたくないから使いたくない」という声もよく聞かれます。

ロービームとハイビームをめぐる交通ルールはどうなっているのか。
警察は、「ハイビームが基本で、対向車とすれ違うときや、前に車がいるときは、ロービームに切り替える」ことが正解だと説明しています。

ただ、この説明に違和感を覚える人も少なくないのではないでしょうか。
そもそも、法律にはどう書いてあるのか、調べてみました。

道路交通法は、「車両等は、夜間、道路にあるときは、政令で定めるところにより、前照灯、車幅灯、尾灯その他の灯火をつけなければならない」と定めていますが、私には、「夜、ライトをつけましょう」としか読めません。
この法律のどこから「基本はハイビーム」という交通ルールが読み解けるのでしょうか。

警察や、国土交通省に聞いてみたところ、「『道路交通法』と、『道路交通法施行令』や『道路運送車両の保安基準』、それに『道路運送車両の保安基準の細目を定める告示』を組み合わせると、『基本はハイビーム』というルールがわかる」という、なんともわかりにくい答えが返ってきました。

では、ハイビームが基本だということは、それに従わない場合は、罰則があるのか。

結論から言うと、ハイビームにしなくても罰則はありません。
ただ、対向車とすれ違うときに、ハイビームをロービームに切り換えるなどしなければ、「減光等義務違反」として点数1点、普通車では6000円の反則金が科されます。

ルールがわかりにくい上、免許を取った世代や教習所によってハイビームの使い方の教わり方もまちまちで、一般のドライバーからすると、ハイビームにするメリットはあるのか、という疑問が出てくるのも無理はありません。

SNSなどでこうした声が上がる背景には、警察で、ことしに入ってからより積極的にハイビームの利用を呼びかけているということがあります。

警察庁は、ことし1月から6月にかけて全国で起きた車と歩行者の衝突事故についてまとめた調査結果で、飲酒や過労運転を除いた夜間と日没前後の事故のうち、「ハイビーム」にしていれば「半数以上の56%の事故が防げた可能性が高い」と分析しています。

また、免許を取るときなどに使う「教則本」の記述も、ことし変わり、それまでの教則本にはなかった、ハイビームの利用を促す一文が追加されました。

なぜ警察は、最近になってハイビームの啓発を強めているのか。その背景には、ドライバーの高齢化が関係しています。

交通事故に詳しい日本大学生産工学部の景山一郎教授は、「一般的に、高齢者は、危険を見つけてから、ブレーキを踏むなどの対応をするまでの時間が若い人と比べると長くかかると言われている。
全国的に高齢のドライバーが増える中でハイビームの重要性は、今後、さらに増していくだろう」と指摘しています。

例えば、時速50キロで走っている車は、ロービームの光が届く40メートル先までは2秒で到達するのに対し、ハイビームが照らす100メートル先まで行くには、2倍以上の5秒かかります。
危険回避をするための、この時間差が、高齢ドライバーにとっては特に重要だということです。

先月、福井県で大学生を対象に、ハイビームの効果を体感してもらう実験が行われました。
車の前方に歩行者に見立てたコーンを置き、ロービームとハイビームの切り替えをすると、100メートル先に置いてあるコーンも、はっきり見えることがわかります。
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しかし、実験ではハイビームにすることで道路脇にいる人の見え方も一目瞭然で違うことがわかりました。
歩行者が歩く道路脇も、実はロービームの死角となっていたのです。

前後の視界だけでなく、ドライバーの左右の視野も大きく広げるハイビームを利用することで、歩道を歩く人や、道路を横断しようとする人にいち早く気が付くことができ、事故防止にもつながると言えます。

日本大学の景山教授は、「ハイビームをためらう気持ちもよくわかるが、ロービームと比べ、見える範囲は格段に広がり、事故も防げるので、積極的にハイビームを利用する機運が広がってほしい」と話しています。

一方で、「基本はハイビーム」とはいえ、切り替えずにずっとハイビームにしていると、対向車のヘッドライトの光で瞳孔が閉じてしまい、人が消えて見えなくなる「蒸発現象」が生じ、逆に、事故にもつながりかねません。

つまり、大切なのは、ロービームとハイビームをこまめに切り替えることだということです。
多少面倒でも、手元の操作1つでできる簡単な交通安全対策。
きょうから少しだけ意識をして運転してみてはいかがですか。

by mnnoblog | 2017-12-21 08:17 | 社会
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  (日経新聞”大機小機”の記事より)

教育に対する予算措置が議論されている。
焦点の一つが大学である。

大学教育の機会均等は望ましい。
しかしそれが結果の平等、すなわち誰でも簡単に卒業できる大学を意図するのなら大問題だ。

日本の大学は、教育や研究の絶対レベルが低下している。
これは研究者を含めた教員を要因とするものだが、実は根が深い。

大学とは何か、その発想の貧弱さにまで行き着く。

大学とは知のフロンティアへの橋頭堡(きょうとうほ)である。
知とは、科学、技能、社会など、分野を問わない。
このフロンティアを広げれば社会の発展が得られ、国力が増強する。

大学での教育とは、多くの人材をフロンティアに導くための訓練であり、その参加要件は、高い基礎知識と意欲である。
基礎知識を高めるため、大学の教養課程がある。
とはいえ、タブレットが普及した現在、ここに多数の教員を配置しても無駄だし、社会の現実も微細な知識まで問わない。
知識の所在さえ知れば十分である。

大学で学ぶべきは、推論と議論の方法であり、実践である。
経験を積んだ教員が少人数の学生を指導して初めてなり立つ。
大学のゼミをイメージすればいい。
多数の教員が必要だが、基礎知識分野で余った教員を配置換えすればいい。

優れた教員にはフロンティアで活躍してほしい。
研究に専念し、優れた学生を共同研究者として指導すればいい。
このとき問題となるのが予算である。

日本の大学の研究予算は貧弱そのもの、金額が少なく、期間も短すぎ、研究に専念できる状態では決してない。
政府が目指す大学の一層の普遍化は、日本人の質を高める政策として望ましい。
しかし下手をすると、限りある人材や予算を、現時点以上に広く浅くばらまきかねない。

せっかく大学を卒業したのに、最初から人工知能に負けているとの結末さえ十分にありうる。
人口減少時代において、日本の競争力維持に何が必要なのか。
大学が凡才ばかり輩出したのでは、人口の多い国に負ける。
選別的、重点的に大学に予算を配分し、極力多くの異才を輩出するのが本筋となる。

言い換えれば、大学の平均化ではなく、知のフロンティアを目指すにふさわしいとがった大学を構想すべきである。

by mnnoblog | 2017-12-20 08:44 | 社会

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