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カテゴリ:社会( 123 )

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  (JBpressの画像と記事より)

西側諸国でポピュリスト(大衆迎合主義者)の考え方が人気を博しているのはなぜなのだろうか。
これは一時的な現象なのだろうか。

英国が欧州連合(EU)から離脱する「ブレグジット」が決まり、米国でドナルド・トランプ大統領が誕生し、フランスで既成政党への支持が急落し、イタリアで「五つ星運動」が勢力を伸ばしたこと、そして言うまでもなく中東欧で権威主義的なポピュリズムが台頭したことなどを考えれば、これらは重要な問いだ。

そもそも、ポピュリストとは何なのか。
ポピュリズムには、世界を徳の高い国民と、腐敗したエリートや危険なよそ者という2つに分けてしまうという不変の性質がある。

また、ポピュリストは機関や制度を信用しない。
特に裁判所や独立したメディア、官僚機構、財政・金融のルールなど、「国民の意思」を束縛するものを信じない。
資格を持った専門家も拒む。
自由市場と自由貿易にも疑念を持っている。

右派のポピュリストは、特定の民族こそが「国民」だと考え、外国人を敵と見なす。
経済ナショナリストであり、昔からの社会的価値観を重んじる。
カリスマ性のある指導者に信を置くことも多い。
一方、左派のポピュリストは労働者を「国民」ととらえ、裕福な人々を敵と見なす。
資産の国有化は良いことだと思っている。

こうした一連の考え方が影響力を増してきたのはなぜなのか。

米ミシガン大学のロナルド・イングルハート氏とハーバード大学ケネディ行政大学院のピッパ・ノリス氏はこの点について、移民をはじめとする文化的な変化に対する高齢かつ低学歴の白人男性による反応の方が、経済面の不安感よりもポピュリズムの台頭をうまく説明できると論じている。

この議論は真実の一部に過ぎず、全体をカバーできていない。
経済的な現象と文化的な現象は互いに関係がある。
上記の2氏の研究では移民を文化的な変化ととらえているが、経済的な変化として見ることも十分可能だ。

また、より重要なのは、この研究では最近どんな変化があったかを問題にしていないことだ。
最近あった変化と言えば、世界金融危機とその後に各国経済に及んだショックだ。
これらは巨額のコストをもたらしただけでなく、金融界や政策策定に携わるエリートへの信頼を――そして正統性も――損ねた。
王様たちが裸だったことを暴露してしまったのだ。

トランプ氏が米国大統領になり、英国民がブレグジットを選択した理由はそこにある、と筆者は考えている。
確かに、文化的な変化と、労働者階級の経済的な衰退は人々の不平や不満を強めた。
しかし、ポピュリストの台頭に扉を開いたのは金融危機だった。

この見方が妥当かどうかを探るため、経済の長期的な変化と金融危機の様子を表す指標を主要7カ国(G7)とスペインの計8カ国について集めてみた。

長期的指標としては製造業の雇用の減少、サプライチェーンのグローバル化、移民、格差・不平等、失業、そして労働参加率に関するデータを調べた。
金融危機後の事態の変遷を示す指標については、失業、緊縮財政、1人当たり実質所得、そして民間信用についてのデータを集めた。

それによると、8カ国のうち経済の長期的な悪化が最も甚だしいのはイタリアで、スペイン、英国、米国がこの順番で続いた。
金融危機後に限ると最も甚だしいのはスペインで、次いで米国、イタリア、英国の順になった。
金融危機による悪影響が最も小さかったのはドイツで、カナダと日本がそれに近い状況だった。

従って、カナダ、ドイツ、日本の3カ国が金融危機後のポピュリズムの台頭をおおむね免れていること、そして米国、英国、イタリア、スペインの4カ国があまり免れていないこと(イタリアとスペインは封じ込めに比較的成功しているが)は、特に不思議なことではない。

そのため、ポピュリズムの台頭はもっともなことだと言える。
しかし、ポピュリズムは危険でもある。
その支持者にとってもそうであることが少なくない。
欧州経済諮問グループ(EEAG)が先日まとめた報告書で指摘しているように、ポピュリズムは恐ろしいほど無責任な政策につながってしまう恐れがあるのだ。

故ウゴ・チャベス氏がベネズエラに及ぼした打撃はその最たる例だ。
最悪の場合、ポピュリズムは独立した機関を破壊したり、一般市民の平和な生活を揺るがしたり、外国人嫌いを助長したり独裁制につながったりする恐れがある。
仲間の市民を「国民の敵」と見なす考え方は、安定した民主主義とは相いれない。

従って、どんな怒りがポピュリズムを引き起こしているのかを認識し、その怒りに対策を講じる必要がある。
しかし、ポピュリズムは優れた政府の敵だ。
民主主義の敵ですらある。

将来に希望が持てる明るいストーリーを自分で描き、それを自分に言い聞かせることは可能だろう。
例えば、西側の大きな民主主義国の多くで経験されている政治的混乱には、金融危機が残した爪痕という側面もある。

景気が回復してショックが和らぐにつれて、金融危機が引き起こした怒りや絶望も弱まっていくのかもしれない。
時間が経つにつれて、民主主義を機能させるのに不可欠な機関、すなわち議会や官僚機構、裁判所、メディア、さらには政治家に対する信頼も回復するかもしれない。
銀行幹部ですら、自分たちの人気が再び高まることを自覚するかもしれない、といった具合だ。

だが、この楽観論は2つの大きな壁に突き当たる。

第1の壁は、過去の政治的愚行の結果がまだ明らかになっていないことだ。
英国とEUとの離婚は、どんな結果をもたらすのか、まだ見えない。
トランプ大統領の選出も同様だ。
米国が世界のリーダーの座を降りることは、まさに衝撃的な出来事となる可能性がある。

第2の障害物は、文化と経済の両方における脆弱さの長期的な要因には、大きな格差や米国の働き盛りの世代における労働参加率のように、今日も存在するものがあることだ。
同様に、多くの移民が次々にやってくることによる圧力も続いている。
人口高齢化が財政にもたらす圧力は、特に強くなりそうだ。
こうしたことから、ポピュリストの怒りの波はまだ消えそうにない。

だとすれば、勢いづくポピュリズムの波に抗いたいのであれば、フランスのエマニュエル・マクロン大統領がやったように、ポピュリストの単純化と嘘に立ち向かわなければならない。

マクロン氏が理解しているように、ポピュリズムの盛り上がりを説明してくれる懸念や心配事に直接対応しなければならない。
文化的な心配は、移民に関するものは別として、政策を講じてもあまり反応しない。だが、経済的な心配事には対応できるし、対応しなければならない。

もちろん、政治家はその逆――対応しないこと――もできる。
米国で今日見受けられるのは後者の方だ。
これではポピュリストの台頭に終止符が打たれることはなく、むしろ助長される。
それが間違いなく、政治家の狙いだ。

by mnnoblog | 2017-07-18 08:42 | 社会
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  (日経ビジネスの画像と記事より)

5月18日に経済産業省で開催された第20回産業構造審議会総会で、中長期的な日本の社会の在り方に関する次官・若手プロジェクトの提言「不安な個人、立ちすくむ国家」が発表された。

このプロジェクトは省内で公募された20代・30代の若手30人で構成されており、メンバーは自分の担当業務をそれぞれ行いながらプロジェクトに参画。

「国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト」である。

世代を越えて傾聴すべき若者の意見か、それとも税金の無駄遣いにすぎないかで、SNSなどで論争を巻き起こしたペーパーなのだが、結論の部分に以下の文章がある。

「2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。
それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。
そこから逆算すると、この数年が勝負。
かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが、今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。
今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンス。2度目の見逃し三振はもう許されない」

かなりマイルドで婉曲な表現が使われているが、端的に言うと、できるだけ多くの高齢者が働き続けて社会を「支える側」に回ることにより、少子化対策の失敗をカバーしようという発想である。

「日本の立ち位置」というタイトルがつけられた2番目の章に、以下の記述がある。

「バイオ技術の活用で世界に先んじて健康寿命が延び、 AI・ロボット技術の積極導入によるサポートが可能になれば、高齢者も、支えられる側から、むしろ価値創造側に回ることができるのではないか」


「わが国の平均寿命は戦後と比較して30年延伸。健康寿命も70代に。

今後、AI・バイオ技術の導入で健康寿命が延びれば、高齢者は、知識・智恵を活用した人的資源となるのではないか」


そして、「今後の仮説」と題された章の「基本的な方向性と仮説」には、次の文章がある。


「高齢者の智恵・人脈・経験等を活かした労働参加の促進が社会的に大きな利益。→ AI、IoT、バイオ技術を活用し、世界最高レベルの高齢者の労働参加(戦後の社会保障・雇用制度の抜本見直し)」


「第4次産業革命がもたらす所得格差が世界的な課題となる中で、我が国は、①高齢者の労働参加、②様々な『差異』を生み出す人材の創出によって、大きな政府による所得再分配策に依らずとも所得の二極化を解決できるのではないか」


「AI・IoT・バイオ技術等を活用し、高齢者の就労を促進することができるのではないか。

健康寿命の伸びに実態を合わせていけば、現役世代2人で高齢世代1人を支える構造を今後も維持できるのではないか」


この「現役世代2人で高齢世代1人を支える構造を今後も維持できる」という見方のエビデンスとして「高齢者の現役参画と生産年齢人口比率の関係」と題した数表があり、①2015年時点で65歳以上人口/15~64歳人口=2.3、②2035年時点で70歳以上人口/15~69歳人口=2.4、③2055年時点で75歳以上人口/15~74歳人口=2.5という数字が、丸で囲ってある。


要するに、健康寿命が伸びれば、2035年時点で69歳までの人の多くが就労した状態であることができ(現役世代にとどまることができ)、2055年時点ではこれが74歳までになり得るから、海外からの移民などの積極的受け入れを含む人口対策を強化しなくても、高齢層の就労拡大によって、社会保障制度はなんとか維持できるのではないかという、なんとも大胆な仮説である。


若年層から出てきたこうしたアイディアに厳しさ、さらには冷たい視線さえ筆者が感じるのは、「人は何のために働くのだろうか」「健康寿命の間はひたすら働き続ける人生が本当によいのだろうか」「そういう人生が楽しいと思える人は多数派なのだろうか」といった、素朴な疑問を抱く。


2016年6月23日~7月10日に実施された最新の調査結果で、「あなたが、働く目的は何ですか。あなたの考え方に近いものをこの中から1つお答えください」という問いに対する回答では、「お金を得るために働く」が最も多く、半数を超えた(53.2%)。


第2位は「生きがいをみつけるために働く」(19.9%)。

以下、「社会の一員として、務めを果たすために働く」(14.4%)、「自分の才能や能力を発揮するために働く」(8.4%)、「わからない」(4.1%)となっている。


むろん、世代によって考え方には違いがある。

年齢別の集計結果を見ると、「お金を得るために働く」が最も多かったのは「40~49歳」(68.3%)。

「18~29歳」「30~39歳」も60%を超えた。

「50~59歳」は58.5%である。

一方、「60~69歳」では49.1%にとどまり半数未満。

70歳以上では34.4%しかおらず、「生きがいをみつけるために働く」の32.0%とほぼ拮抗している。


若い世代からすれば、日本政府の借金が後先を考えずにここまで膨大な額になってしまったのは自分たちより上の世代の責任であることは明らかだし、少子化対策や外国人受け入れ策を早い段階から積極的に推し進めなかったのも上の年代の人々の責任だということになるのだろう。


したがって、そうした世代の人々は自分の健康をしっかり維持しながら、70歳代半ばあたりまで現役世代として働くことにより、いわば「落とし前をつけてほしい」ということなのだろう。


政治の表舞台にはまだ出てきていないものの、世代間の利害対立は、日本でも潜在的には非常に深いものになりつつあるように思える。


そして、「引退して悠々自適の生活を送る」という人生のゴールのようなものは、だんだん遠くなりつつある、もしかするとなくなりつつあるのかもしれない。


by mnnoblog | 2017-07-08 08:48 | 社会
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  (NHK NEWS WEBの画像と記事より)

将棋の公式戦で一度も負けずに歴代最多の連勝記録に並んでいた中学3年生の藤井聡太四段が、26日、東京で行われた対局に勝ち、連勝を「29」に伸ばしました。
藤井四段は連勝記録を30年ぶりに更新し、プロ1年目にして歴代単独1位となりました。

藤井聡太四段は、去年10月に史上最年少の14歳2か月でプロ棋士となったあと公式戦で一度も負けることなく勝ち続け、今月21日の対局で連勝記録を「28」に伸ばして、昭和62年に神谷広志八段が達成した最多連勝記録に並びました。

藤井四段は26日、東京の将棋会館で竜王戦の挑戦者を決める「決勝トーナメント」の初戦に臨み、午前10時から増田康宏四段(19)と対局しました。

対局は早い段階から攻めにかかったのに対し、増田四段が反撃に転じ、終盤、藤井四段が再び攻勢に出た結果、午後9時24分、91手までで増田四段が投了しました。
これで、藤井四段は連勝を「29」に伸ばし、最多記録を30年ぶりに更新してプロ1年目にして歴代単独1位となりました。

対局のあと、藤井四段は「途中苦しくなったので、最後はなんとか食いついたという感じでした。最後の最後までわからなかったです」と振り返りました。
そして、「自分でも本当に信じられないというか、きょうも含めて苦しい将棋だったので、非常に幸運でした。次も強敵なので、全力でぶつかっていきたいと思います」と話していました。

藤井四段は来月2日に次の対局に臨み、勝てばデビュー戦から負けなしの30連勝となります。

藤井聡太四段に敗れた増田康宏四段は「終盤、しのげるかと思いましたが、難しかったです」と対局を振り返ったうえで、藤井四段の印象について、「中盤から終盤がかなり強かった」と語りました。

藤井四段が29連勝して最多連勝記録を更新したことについて、28連勝の記録を持つ神谷広志八段は「28という完全数はいちばん好きな数字ですので、それが一位でなくなることは個人的に少々さみしいのですが、凡人がほぼ運だけで作った記録を天才が実力で抜いたというのは将棋界にとってとてもいいことだと思います。
藤井さんがこれからの数十年でどんな世界を見せてくれるのかファンの皆様とともに寿命の限り見続けていきたいです」とコメントしています。

藤井聡太四段の師匠、杉本昌隆七段は「竜王戦本戦という大舞台で神谷八段の記録を抜く29連勝は驚がくです。
師匠の私も至福の時間をもらいました。
28連勝を達成した帰り道、いつもと同じようにずっと将棋の話をしていたのが印象的で、このとき29連勝を確信しました。
歴代連勝記録のトップに立ちましたが、14歳の藤井四段にとってこれは序章。
一喜一憂せず、これからもさらなる記録を目指して精進してください」とコメントしています。

藤井四段の母親の裕子さんは「このような記録を達成することができ、本当にすばらしいと思います。
一局一局を大切に、これからも『強くなる』という目標に向かって進んでいってほしいです」と、日本将棋連盟を通じてコメントしています。

藤井四段は、26日に勝ち進んだ竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントで、来月2日に佐々木勇気五段(22)と対局します。
この対局に勝てば30連勝です。
そのあとは、来月6日の順位戦で中田功七段(49)との対局が予定されています。

by mnnoblog | 2017-06-27 08:00 | 社会
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  (NAVER まとめより)

辞書によると大和言葉とは「我が国固有の言葉。漢語、外来語以外の言葉」とあります。

「情」を伝える言葉だという事です。
一方で、漢語は「理屈」を伝える言葉です。
例えば、「ありがとう」は大和言葉で、「感謝」は漢語です。

丁寧さに加え、言葉の響きが柔らかく、好印象を与える。
情景が浮かびやすく、意味が容易に伝わる特徴もあります。

〔お付き合いで使う言葉〕
「お平らに」と言うのは「膝を崩して」と言う意味で、「おみ足をお楽に」と同じ意味で使われます。
「お膝送り」は、座ったまま膝を動かし詰めること。
沢山の人が集まる和室などで「お膝送りをお願いします」と使われます。
「ほんのしるし」「心ばかり」は相手に品物などを渡すときに「ほんのしるしばかりですが」「心ばかりですが」と使います。
人の特徴を表す言葉として「奥ゆかしい、たおやか、清らか、おおらか、心映えがいい、懐が深い」などたくさんの言葉があります。
「ことほぐ」とは(言葉で)祝賀する、喜びや祝いの言葉を述べるという意味です。

〔日常会話〕
「ご協力をお願いします」は「お力添えをお願いします」に。
人や作品を評価する際に、「この上なく素敵だった」「この上なくおいしい」と言った形で使います。
「それより上のものがない」と言う意味ですから、「最高に」「最上に」という事です。
漢語では表せない「あふれる思い」が伝わります。
”ひねもす”とは朝から晩まで(終日)のこと。
ちなみに,“夜もすがら“は夜通しのこと。
”昼はひねもす、夜もすがら”と言えば”四六時中、いつでも”と言う意味になります。
”むしおさえ”とは”食事までまだ時間があるけど小腹が空くこと。
”気楽”とは”気持ちが塞いでいる状態から元気づける”ということ。
「一方ならぬ(ひとかたならぬ・ひとかたらなず)」とは、並の、ひととおりではない、普通ではないことなど、程度の大きさを表し、「並々ならぬ」とも言います。
お中元やお歳暮、結婚祝いや出産祝いをいただいた時などに「お心にかけていただきありがとうございます」「お心にかけていただきとてもうれしく思います」と感謝の気持ちを伝えてみると、よりむくもりのあるお礼の言葉が相手に伝わります。

〔仕事で〕
「結構です」を「お構いなく」、「先ほど」を「いましがた」、「意外に」を「思いのほか」というふうに、言葉の一つを大和言葉に置き換えるだけでも、受け取る側の印象は変わってきます。
「揺るがせ」とは、物事を疎かにすること。
「お約束の件、決してゆるがせにいたしません」のように使う。
両者の主張が対立した時、互いに譲り合って穏やかに話をまとめることを「折り合う」といいます。
ただ、「お返事をお待ちしています」と述べるよりも、「うれしいお返事を心待ちにしています」と書けば、はるかに大きな期待感が伝わります。
「心ならずも」と一言添えるだけで、申し訳ないという気持ちも、対応が遅れたことは本意ではないという事が伝えられます。
「仲介」を「とりもち」に言い換えると,和みませんか。
「その日は用事がありまして」を「よんどころない事情がありまして」本来は行きたいが行くことができない事情がある意味合いを含みます。
何かお願いするときに使う「大変失礼なのですが」は「不躾(ぶしつけ)ですが」という言い方にすると、相手に対して敬意を示す表現になります。
「おこがましいとは思いますが」と口にしてから、意見を述べてみることは如何でしょう。
「おこがましい」とは、「身の程をわきまえてないこと」「生意気なこと」という意味です。

〔感情を言い表す言葉〕
「心が結ばれる」とは、心の糸が絡んで結び目ができるようにふさぎ込んでいることを表す。
大和言葉では「胸を打たれた」「胸に迫る」「心に響いた」「心に刻まれた」など、微妙なニュアンスを表現することもできます。
ぐっと来た感じなら「胸に迫る」、ずしんと来たなら「胸を打つ」、じわじわと来たなら「胸に染みる」など。
目上の方や取引先など、感動や感激の気持ちをより丁寧に伝えたい場合などは「目頭が熱くなりました」と伝えることで、心を動かされた様子が伝わるものです。

by mnnoblog | 2017-06-23 08:50 | 社会
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  (DIAMOND online の画像と記事より抜粋)

――医師としてすっかり地歩を固められていたにもかかわらず、落語家に転身された経緯はどのようなものだったのでしょうか。

らく朝 全部話すと3時間くらいかかりますけど(笑)。
もともと演劇が好きで高校時代は演劇をしていましたが、大学には演劇部がなかった。
それに、演劇は脚本、照明、音楽、衣装、演出、役者などたくさんの人を集めなければ成り立ちません。お金も必要です。
人もお金も要らなくて、演劇のようなものというと、落語なら一人で全部できるじゃないかと。布一枚を暗幕にして、台があれば、高座になる。
それで、大学で落研を作って、6年間打ち込みましたが、医学部を卒業すると、研修が始まり、否応なく仕事をせざるを得なかった。
臨床や研究や診療に追われ、学位論文も書いて、気がついたら40になっていました。
落語を諦めたつもりはなく、ずっと心のどこかでまだ落語家になるかもしれないという気持ちがありました。

そんなとき『あなたも落語家になれる』(三一書房、1985年刊)という本に出会いました。

私の師匠立川志らくのさらに師匠、立川談志が書いたものです。
本によると談志は社会人の弟子を取るというので、すぐに本の奥付にあった事務所に電話したら、係の人が冷めた声で、「あなた、それは15年前の本で、いまはやっていません」と。

私が電話口であまりにしょげていて、係の人も気の毒に思ったんでしょうね。
談志の弟子の立川志らくが社会人向けの勉強会をしているから、そこへ行ってごらんなさいと教えてくれました。

そこで10年ぶりに小話をしたら、火がついてしまい、もう落語がやりたくてやりたくて矢も盾もたまらず、「弟子にして下さい」と志らくに懇願した。

私は妻子を養う身でもあり、志らくより10も年上でしたから、隣で聞いていた事務所の社長がすげなく「無理ですね」と。ここでもまた私があまりにしょげかえったのを、志らくが気の毒に思ったんでしょうね(笑)。
特別に客分という形の弟子にしてくれたのが44歳のときでした。

客分というのは本当の弟子ではなく、月謝を払って落語を習う。
高座には出せませんよと。
毎週1本ずつ志らく師匠がテープに吹き込んだ話を覚えて、師匠の前で話す、
それを一年続けて50本のレパートリーができました。

そうしたら、「無理だ」といった事務所の社長が今度はプロにならないかと。
ただ、それは医者との兼業ができないということです。
子どもも小さいのに無収入というわけにはいかず、3カ月悩みました。

そうしたら、志らくがしびれを切らして、ある日楽屋ですれ違いざま、「それで、どうするの」と言うので、一瞬頭が真っ白になって、反射的に「お願いします」と言ってしまった。46歳でした。

50歳で落語界一人前とされる二ツ目、61歳で世間で一人前の落語家として認識される真打になりました。

――いろいろご苦労もおありだったと思いますが

らく朝 すでに社会人ですから、師匠に一日中付き従って、礼儀作法や社会常識を学ぶ「カバン持ち」は免除されました。

一番苦労したのは、新作を作ることでした。
二ツ目になってから毎月新作をひとつ作ると決めたものの、ぎりぎりにならないとできない。
前日にひねり出したこともありましたが、受けなかったなあ(笑)。
だいたい三日前には話ができていないと、どう話すかというクオリティを上げるための稽古ができなくて、だめなんですよ。

――健康落語もそんな中でお作りになったものなのですね。

らく朝 あれは実は偶然なんです。
弟子入りする前で、産業医をしていたとき、企業の健康管理の担当者と飲みながら、「健康管理の話も落語みたいに楽しくできたらいいのに」と話したことがあった。
その担当者の人が後日「うちの会社の保養所で健康管理の話を落語でやってほしい」と言ってきたんです。

いや、落語みたいにできたらいいね、とは言ったけれど、健康管理を落語にするなんて一言も言っちゃいない(笑)。
断ろうと思えば断れたのですが、結局引き受けたのは、心のどこかに、医者としての自分と落語を結びつけるような何かをしようという気持ちがずっとあったからでしょうね。

それに呼応するように、こういうチャンスが巡ってきたということは、天が私にこれをせよと言っているのだと。
「動脈硬化」をテーマに話し、大変に受けました。

それで、自分の独演会でもシリーズ化してやるようになったのです。
自分でしたいと思っていることを考え続けていれば、いつか思わぬ形できっかけが降ってくることがある。
それを拒否せず、なんでもあり、と受け入れることが大事ではないかと思います。

――古典の噺とは、まったく違う技術や工夫が要求されますね。何か秘訣はありますか。

らく朝 秘訣なんてないですよ。
口幅ったいことを言えば、観客に対する愛情がそうさせるということでしょうか。
どうしたら笑ってもらえるか、楽しんでもらえるか、聞いてよかったと思ってもらえるか、ということをいつも考え続けていて、それが原点にあっての工夫です。

by mnnoblog | 2017-06-13 08:02 | 社会
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  (JBpress の画像と記事より)

これまでどれほど多くの子どもがいじめによって自殺してきたことか。

だが多くの場合、「いじめはなかった」「気が付かなかった」などという学校や教育委員会の無責任な発表ばかりを聞かされてきた。

2015年11月に茨城県取手市の中学3年生だった中島菜保子さんがいじめによって自殺に追い込まれたという事件でもそうだった。
菜保子さんは、「いじめられたくない」「学校に行きたくない」などとノートに書き残していた。
この事実を見ただけでも、常識的な判断力を持つ人間なら、「いじめはあった」と判断して当然だ。

しかし翌年12月、取手市教育委員会は、聞き取り調査を行ったが「いじめの事実は確認できなかった」と発表し、この問題に終止符を打とうとした。

納得できない両親は独自に調査を行い、同級生からの証言でいじめの事実を把握した。
調査を基に「学校でのいじめはあった」と訴え続けると、2016年3月に第三者委員会が設置され、再調査をすることになった。

ところが、この第三者委員会というのはひどいもので、報道によると、聞き取り内容は「家族関係について」や「ピアノの悩み」ばかりで、いじめの問題に直結するようなものはなかったという。

そして第三者委員会が出した結論は、やはり「直接的ないじめがあったということは把握できなかった」というものだった。

中学3年の女生徒が、「いじめがあった」と書き残して自殺したことが「重大事態」ではないというのだから、呆れるほかない。
なんという愚かさだろうか。

取手市教育委員会は、両親が文科省に訴えると、途端に態度を180度変え、「不適切だった、反省している」と謝罪した。
情けなくなる。こんな連中が教育委員、教育長だとは。しかし、こんな中身のない言葉では何の謝罪にもならない。
「不適切だった」というが、何が不適切だったのか。
「反省している」というが、何を反省しているのか。
肝心なことがすっぽり抜け落ちている。

教育長は辞任したが、ただ逃げただけのことだ。
不誠実、無責任、無能・・・、いくら言葉を並べても足りないぐらいだ。

横浜市でも、福島から自主避難していた小学生が、転校先の小学校で小学校2年生のときから5年生のときまで、放射能に汚染された「〇〇菌」などと罵られ、150万円も脅し取られていたことが発覚した。

ところが横浜市の教育長は、「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っているから、いじめと認定することに疑問がある」というのだ。
脅し取った子どもたちは、こんな見え透いた弁明をそのまま受け取る馬鹿な大人たちのことを嘲笑していることだろう。

そもそも小学生が150万円もの大金をどうやって調達するのか。
このこと自体も大問題であり、調査すべきことだ。
150万円もの金がどういう場所で何に使われたのか。
教育委員会なら大いに関心を持つべきことだ。

それとも、横浜市の教育委員や、何の役にも立たなかった第三者委員会メンバー、親の訴えを真剣に聞こうともしなかった教師は、150万円ぐらいしょっちゅうおごってもらっているというのか。
大人でも、何の利害関係もないのに数年間で150万円もおごってくれる人はそうそういない。
いたら、横浜市教育委員会にぜひ紹介してもらいたいものだ。

この生徒は、手記の中で「いままでなんかいも死のうとおもった。
でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と述べている。
震災で本当に辛い目に遭ったのに、よく頑張った。
教師や教育委員会のメンバーよりも、この子どもの生きざまの方がはるかにけなげで、感動を呼ぶ。

なぜ教育委員会の人々は、あるいは教師は、これほど“愚か”なのだろう。
それは、馬鹿だからではない。
保身のためだ。

自分たちが関わる学校で自殺があれば、おそらくマイナス評価になるのだろう。
だから隠そうとするし、真実に目を背けるのだ。

こんな生き方しかできない人々は、子どもの教育に関わってはならない、と断言したい。

絶望的なことを言うが、人間社会でいじめは絶対になくならないと私は思っている。
もちろん残念なことだ。
だが自分の生活している周りを見てみればいい。
ママ友なる集まりでも、会社でも、誰かを血祭りにすることはいくらでもある。
いじめは大人社会だってあるのだ。

動機は様々だ。妬みの場合もあれば、自分の立場を守るための場合もある。
強者でいたいために、弱者を作り上げるための場合もある。
烏合の衆になる場合もある。
いじめに至る要因は、実に数多くあるのだ。

それが学校現場では、実に簡単に「いじめはなかった」などという結論が下される。
こういう結論を聞くたびに思うのは、「いじめはある」ということをなぜ大前提にしないのかということだ。

多くの場合、いじめや嫌がらせがあっても、笑って済ませたり、無視したりしながら、みんな耐えているに過ぎないのだ。
そういう想像力が必要なのだ。
教育委員会や教師は、そういう想像力を持たなければならない。

電通に勤務する高橋まつりさんという24歳の東大卒の女性が自殺をして、大きな社会問題になった。
過酷な長時間労働や違法なサービス残業がその原因とされている。
三田労働基準監督署が過労自殺と認定しているように、確かに、過酷な過重労働がその要因であったのだろう。

しかし、このことをニュースで知った時、とっさに高橋さんが東大卒ということで、下らないいじめのようなプレッシャーをかけられていたのではないのかーーー。

事実、母親は「『ハラスメントや長時間勤務に関する相談が本人からなかった』と言われていますが、彼女のメールにはくり返し『会社に行くのが恐い』『上司が恐い』『先輩が恐い』『相談したことがわかったら恐い』とありました。

電通における社風『体育会系レベルではない異常な上下関係』『年次の壁は海より深い』と娘が言っていた社風であるのに、新入社員が相談できる相手は年のごく近い先輩だけしかいなかったのです。人事に相談しても有効ではなかった」と語っている。

要するに、“いじめ”があったということだ。
このいじめが、高橋さんを過労に追い込んだのである。

by mnnoblog | 2017-06-07 08:15 | 社会
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  (DIAMOND onlineの画像と記事より)

加計学園問題が続いています。
国家戦略特区で安倍総理の「お友達」である加計学園だけが獣医学部の新設を認められたのは、安倍首相の意向が働いたか、内閣府の官僚が忖度したからだという主張です。

第一の論点は、民進党や朝日新聞が明らかにした、文科省から流出したと言われている議事録調の文書です。

内閣府の審議官が大学を所管する文科省に「官邸の最高レベルが言っている」「総理の意向」と圧力をかけたとされていますが、それは本当なのでしょうか。

そもそも菅官房長官が5月18日の記者会見で発言しているように、総理の意向は“岩盤規制に風穴を空ける”ということだと考えられます。

加計学園問題について言えば、口蹄疫などの感染症の発生の拡大を考えると、家庭向けはともかく産業向けの獣医の数は足りないと考えられるのにもかかわらず、大学の獣医学部の新設は52年も認められませんでした。

獣医師の需給を所管する農水省とその族議員、その背後にいる日本獣医師会が反対してきたからです。
獣医学部の新設認可は強固な岩盤規制だったのです。

特に改革に後ろ向きな役所を説得する際には、“上の意向”“政治の意向”といったことはブラフとしてよく使います。

ただ、その場合でも、言質を取らせない慎重な物言いが得意な官僚が、「加計学園ありきが総理の意向」と先方に思わせるような発言をするとは考えられません。

したがって、前事務次官の前川氏がメディアの取材で発言しているように、もし文科省側が「内閣府は加計学園での獣医学部新設で圧力をかけている」と感じたとしたら、それは総理の意向というより、特区での成果を早くつくりたいという官僚特有の成果主義ゆえではないかと思います。

第二の論点は、共産党が明らかにした特区での獣医学部新設を決めた内閣府の文書です。

最初の段階では自治体又は大学から特区の申請があれば特に限定なく新設を認める方針だったのに、最後の段階で「広域的に獣医学部が存在しない地域に限り新設を認める」という文言が入ったことを示しています。

その結果、加計学園と京都産業大学の2ヵ所が獣医学部新設に手を挙げていたのに、近隣の大阪に獣医学部がある京都産業大学は対象から外れ、加計学園だけが新設を認められました。

内閣府は総理の意向を忖度して加計学園ありきの手続きを行った、国政の私物化ではないかという主張です。

この点は重要です。
実際、霞が関の省庁では、自分たちが仲のいい企業などに仕事を受注させるために、事業者を公募する段階で、その企業だけが適合するような条件を応募要件に加えて他が受注できないようにするというのは、よくあることだからです。

その疑念から内閣府を含む数多くの関係者に取材を行ったところ、内閣府は、応募できる自治体・大学を限定することは特に考えていませんでした。
もともと特区はできるなら最初の段階から全国展開したい(=複数の地域で実現したい)と内閣府は考えているので、これはある意味で当然です。

ただ、規制改革を決めるときは、当然その規制を所管する農水省や自民党(=族議員)と協議しなければなりません。

調べたところ、その調整の過程で「広域的に獣医学部が存在しない地域に限り新設を認める」という表現を入れるという形でまとまったのが真相です。
これなら半世紀にもわたって既得権益を守ってきた族議員も受け入れられるというギリギリのラインが、この表現になったのでしょう。

さらに言えば、この表現を入れて方針が決まった後にパブリックコメントを募集したところ、日本獣医師会から「広域的に獣医学部が存在しない地域とは 1ヵ所、1校であることを明示しろ」という意見が出され、自民党の国会議員からも同様の要望があったので、最終的に獣医学部新設は1ヵ所に絞ることになったようです。

つまり、結果として加計学園だけが認められる形になったのは、総理や官邸、内閣府の作為や責任ではなく、獣医学部の新設にずっと反対して今回も大反対を繰り広げた、自民党の族議員と日本獣医師会の意向によってなのです。

これらの事実から、いくつかの怒りを感じざるを得ません。

第一に、野党やメディアは特定のところから提供される文書・情報以外の、別の角度からの情報をちゃんと自分で調査して、何が真実かを突き止めようとしないのでしょうか。

第二に、野党やメディアは岩盤規制の改革に抵抗する既得権益も取り上げて非難すべきなのに、総理の意向や忖度といった陰謀論を騒いでばかりいては、逆に既得権益を利することになっているのがわからないのでしょうか。

今回の騒ぎで加計学園の獣医学部新設がなしになったら、最も喜ぶのは日本獣医師会と自民党の族議員の人たちです。

第三に、特にメディアは結果的に自らの役割を半ば放棄してしまっているのではないでしょうか。

メディアの役割は、権力の監視に加えて真実の追求のはずです。
それなのに、加計学園問題でメディアがやっていることは、総理の陰謀シナリオありきのストーリーを前提にそれに適合する情報を報道するばかりで、何が真実かを明らかにしようという姿勢がほとんど感じられません。

野党やメディアの振る舞いを見ていると、彼らが権力を正しく監視しようとしていないので、結果的には社会のガバナンスこそが欠如してしまっていることを、自ら露呈しているのではないでしょうか。

それこそが加計学園問題でもっとも憂うべき点であるように感じます。

by mnnoblog | 2017-06-03 08:57 | 社会
日本には9000以上の駅がある。優れた建築として文化財に登録されているものも多い。
今回は見て美しく、歴史やロマンを感じさせる駅舎を対象にした。
  (NIKKEIプラス1の画像と記事より)

東1位 東京駅(東京都千代田区)
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開業は1914年。
近代日本を代表する建築家、辰野金吾が設計した赤レンガの建物は重要文化財に指定されている。
太平洋戦争中に損壊し、戦後改修したが、2012年に竣工当時の姿に復元した。

東2位 日光駅(栃木県日光市)

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JR日光線の終着駅で、1912年に完成した白亜の木造駅舎。
1890年の開業当時は質素だったが、皇室関係者が訪れるようになり優雅な洋風駅舎に改築した。

東3位 原宿駅(東京都渋谷区)
           
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東京最古の木造駅舎は1924年築。
関東の駅百選にも選出された。

東4位 北浜駅(北海道網走市)
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オホーツク海にもっとも近いJR北海道釧網本線の駅で、流氷を間近に見られる。
ホームから海までは50メートルほど。

東5位 小樽駅(北海道小樽市)
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1903年に小樽中央駅として開業した、JR北海道函館本線の駅。
現在の駅舎は34年竣工。鉄筋コンクリートの重厚な造りで貫禄がある。

東6位 湯野上(ゆのかみ)温泉駅(福島県下郷町)
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旧国鉄会津線を引き継いだ第三セクター、会津鉄道の駅で、近くにある宿場町、大内宿の町並みにちなんで屋根はかやぶきになっている。

西1位 門司港駅(北九州市)
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九州を代表する名駅舎。
JR九州鹿児島本線の起点だ。
レトロな建築は明治から昭和初期にかけて国際貿易の拠点として門司港が栄えた時代の名残。

西2位 琴平駅(香川県琴平町)
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JR四国土讃線の駅で、「こんぴらさん」で知られる金刀比羅宮参りの起点。
1936年に現在の駅舎が竣工した。

西3位 美作滝尾(みまさかたきお)駅(岡山県津山市)
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JR西日本因美線の駅。
のどかな田園風景の中に立つ、赤茶色の瓦屋根の木造駅舎は、昔ながらの風情が漂う。

西4位 出雲大社前駅(島根県出雲市)
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松江と出雲を結ぶローカル私鉄、一畑電車の終着駅で、出雲大社の最寄り駅。
1930年に開業した。

西5位 嘉例川(かれいがわ)駅(鹿児島県霧島市)
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1903年に開業したJR九州肥薩線の駅。
築100年以上の鹿児島県内最古の駅舎は開業時の姿をとどめ、国の登録有形文化財に指定されている。

西6位 岩峅寺(いわくらじ)駅(富山県立山町)
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ローカル私鉄、富山地方鉄道立山線と不二越・上滝線の接続駅。
開業は1921年。


by mnnoblog | 2017-05-31 08:51 | 社会
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  (日経新聞”私見卓見”の記事より)

トランプ米大統領を批判する行為にはリスクが伴う。
人種主義や性差別主義をはらんだ言動で物議を醸してきた同氏に対する批判は一見容易である。

ところがそうした批判の多くは往々にしてエリート主義やエスタブリッシュメント性の証だとして論理性を度外視した形で糾弾される。

トランプ大統領の誕生を強く後押ししたとされる、産業が衰退し雇用が枯渇した中西部ラストベルトの白人労働者の内面を理解することが重要なのは、論をまたない。

だが文脈を踏まえずに彼らに無批判に共感することが果たして適切なのか。
ここで言う文脈とは端的には歴史を指す。

人種的な分断を内包した運動や改革は社会正義をもたらさない。
これがアメリカの歴史を中長期的にとらえることで導き出される教訓である。

南北戦争が北軍の勝利に終わり、奴隷制度が解体された南部において、未完の試みであったとはいえ、人種主義や階層的な不平等がない社会が広く真剣に模索されたことは事実である。
解放された元奴隷の黒人を再編入することで平等性の高い南部社会が生まれるはずであった。

しかし現実は、戦前に南部社会を支配していた白人大農園主が公職追放を解かれて復帰し、南部再建のプロジェクトは道半ばで頓挫した。
教訓として重要なのは、貧困層の白人のほとんどが階級的に近い元奴隷の黒人と手を組むことを選ばず、自身の白人性にしがみついたことである。

これにより旧大農園主などの「共通の敵」に連帯して対抗し、不平等な社会構造を変革するという可能性の芽を自ら摘んでしまった。
ただそれでも、白人性への執着が真の自由や平等を生まないと確信する白人が少数ながらも確かに存在したことは、歴史の参照点としては重要である。

「見捨てられた白人労働者」という図式を無批判に前面に出すことが結果的に有効な社会変革の構想を阻害するとすれば、それは大いなる悲劇である。

トランプ支持の白人層が置かれた状況を考えるにあたっては、「理解」しつつも、表面的な「共感」に対しては流されずに踏みとどまるという姿勢が求められるのである。
北海道大学教授(アメリカ史)村田勝幸氏)


by mnnoblog | 2017-05-07 08:59 | 社会
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  (日経新聞の画像と記事より)

政府の地震調査委員会(委員長・平田直東京大学教授)は27日、30年内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率を示した2017年版の「全国地震動予測地図」を発表した。

16年版と比べると、静岡県から四国沖にかけての南海トラフ巨大地震の震源域近くでわずかに確率が上昇。
活断層の評価方法を変えた中国地方では、最大3ポイントほど上がった。

評価は17年1月1日現在で、全体の傾向は前回と変わっていない。
250メートル四方の細かさで全国各地で揺れに見舞われる確率を表示している。

南海トラフ沿いでは、静岡市や和歌山市、高知市などでいずれも1ポイント上昇した。
この海溝付近で起こる地震の間隔は100~150年程度とされており、1年の時間経過を踏まえた。
近い将来、海溝型地震の発生が危ぶまれる北海道の太平洋沿いでも、釧路市が1ポイント上がって47%になった。

最も確率が上がったのは山口県山陽小野田市で、3.6ポイント増の17.1%。
中国地方の主要都市では、岡山市が42%、広島市が23%といずれも1ポイント上がった。
山口市が1.4ポイント増えて5.9%だった。
いずれも周辺の断層帯の評価を見直した結果だ。

都道府県庁所在地で最も高かったのは千葉市で、前回と同じ85%だった。
水戸市と横浜市も前回と変わらず、81%だった。
首都直下地震や相模湾から房総半島沖に延びる相模トラフで発生する地震の影響だ。
昨年4月に熊本地震に見舞われた熊本市は昨年と変わらず7.6%だった。

平田委員長は「太平洋沿いでは、発生確率は少しずつ増加している。
国内では、どこでも強い揺れに見舞われる可能性がある」と注意を呼びかけている。


by mnnoblog | 2017-04-29 08:05 | 社会

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