私のゆるゆる生活

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カテゴリ:美術( 1419 )

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  (AFPの画像”モーツァルトの息子”と記事より)

著名な親を持つことには、良い面も悪い面もある。
しかしオーストリアの音楽家フランツ・クサーヴァー・ウォルフガング・モーツァルトにとっては他の誰よりも大変なことだった。

フランツ・クサーヴァーは1791年、天才作曲家の父親ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが死去する数か月前に生まれ、生涯にわたって父親の影から抜け出そうともがき続けた。

母親のコンスタンツェは1801年、当時9歳だったフランツ・クサーヴァーに宛てて「両親を失望させる子は不名誉と苦痛に直面することになります。この言葉を私の愛する息子への警告とします」と書いている。

この不吉ともいえる手紙は、モーツァルト作品の研究などを行う国際モーツァルテウム財団が主催する展覧会の一環として、オーストリア北部ザルツブルクの「モーツアルトの住居」で現在展示されている数多くの私信の中の一通だ。

フランツ・クサーヴァーが1844年に死去するとモーツァルトの血筋は途絶え、数多くのモーツァルト家の文書が同財団に寄贈された。

モーツァルトとコンスタンツェは6人の子どもをもうけたが、そのうち成人したのはフランツ・クサーヴァーと兄のカール・トーマスだけだった。

国際モーツァルテウム財団の学芸員を務めるアルミン・ブロンジング氏によると、コンスタンツェは著名な夫の死後、フランツ・クサーヴァーを「第2のモーツァルトにしなければ」と決意した。

ブロンジング氏は「フランツ・クサーヴァーが2歳の時、彼女はすでに息子にピアノと音楽理論を習わせていた」と語った。

コンスタンツェは、フランツ・シューベルトやルートウィヒ・ベートーベンといった教え子を持つイタリアの作曲家アントニオ・サリエリら、当時最も著名な教師陣を雇った。

またコンスタンツェは、息子に対して「ウォルフガング・アマデウス」としか呼び掛けなかったという。
事実、フランツ・クサーヴァー自身もすべての自分の作品に「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、息子」と署名している。

フランツ・クサーヴァーが兄とやり取りした手紙によって、彼が幼いころから「とてつもないプレッシャー」を感じ、「家では厚遇されてこなかったこと」が明らかになった。

フランツ・クサーヴァーはわずか13歳で、ウィーンのホールで待望の初公演を行った。
評論家らはフランツ・クサーヴァーのパフォーマンスを称賛し、ある評論家は「父親のピアノ協奏曲をもう少しゆったりとさせた演奏だとすれば彼は素晴らしかった」と評した。
その一方で、この栄光に満足するなと警鐘を鳴らす批評もあった。

「モーツァルトの住居」に展示されている19世紀の主要音楽誌「アルゲマイネ・ムジカリッシェ・ツァイトゥング」の論説では、「モーツァルトの名によって今は寛大に扱われているが、その名が後々大きくのしかかるであろうことを忘れてはならない」と書かれている。

フランツ・クサーヴァーは17歳の時に親元から逃れ、当時ハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったウクライナ西部リビウで、裕福な家庭のピアノ教師の職に就いた。

彼はそれから20年、自分の評判を高めようと欧州各地で音楽を教えたり、演奏したりしていた。
父親の優れた音感を受け継いだフランツ・クサーヴァーは、400人の聖歌隊を指揮したり、リビウ初の音楽学校を創設したりした。
その音楽学校は現在、国立音楽学校として存続している。

しかし元祖モーツァルトと比較すると、フランツ・クサーヴァーの音楽家としての実績は少なく、強く印象を与えることもなかった。
それが最も端的に表れているのが、1842年にザルツブルクで父親のモーツァルトにささげられる記念碑のお披露目の際の式典用に曲をつくるよう依頼された時のエピソードだ。

自己不信にさいなまれていたフランツ・クサーヴァーは、自分は失望させるだけの「ほとんど才能がない」音楽家だとして依頼を断った。
代わりにフランツ・クサーヴァーは父の未完の2曲をカンタータに仕上げた。
この曲は式典で拍手喝采を浴びた。

その2年後、フランツ・クサーヴァーはチェコのカルロビバリでの静養中に胃がんで死去し、同地に埋葬された。
フランツ・クサーヴァーの墓石には次のように刻まれ、死してもなお父親のモーツァルトの魂が大きくのしかかっている。

「父親の名が彼の墓碑銘となりますように。彼の父親に対する畏敬の念こそが彼の人生の本質だったように」

by mnnoblog | 2017-06-24 08:08 | 美術

  (NHK NEWS WEB の動画と記事より)

日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰りオランダの博物館が所蔵していた絵画が、江戸時代を代表する浮世絵師、葛飾北斎が西洋の技法を使って描いたものである可能性が高いことが分かり、北斎を研究するうえで貴重な資料として注目されています。

この絵画は、オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵していた6点で、長崎を拠点に日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰ったコレクションに含まれていました。

これまで作者が分かっていませんでしたが、北斎研究で知られるライデン国立民族学博物館のマティ・フォラーシニア研究員などのチームが、シーボルトの子孫が所蔵していた目録と照らし合わせたところ、「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が見つかり、北斎の作品である可能性が高いことがわかりました。

6点のうち5点は、和紙に、日本橋や品川など江戸の町並みが、遠近法など、浮世絵とは異なる西洋の技法を使って水彩で描かれていて、北斎が西洋の技法を理解していたことを示す資料ではないかとして注目されています。


by mnnoblog | 2016-11-04 08:31 | 美術
*(続き)東海道五十三次
「庄野宿-45」
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「亀山宿-46」
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「関宿-47」
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「坂下宿-48」
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「土山宿-49」
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「水口宿-50」
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「石部宿-51」
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「草津宿-52」
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「大津宿-53」
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「京都(三条大橋),到着」
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 (Wikipedia より引用)

※「私の好きな絵画」は今回で終了します。 長い間ありがとうございました。
 “私のゆるゆる生活”のブログは今後も継続しますが、一時休んだ後、再開したいと思ってます。
by mnnoblog | 2015-05-12 08:02 | 美術
*(続き)東海道五十三次
「赤坂宿-36」
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「藤川宿-37」
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「岡崎宿-38」
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「池鯉鮒宿-39」
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「鳴海宿-40」
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「宮宿-41」
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「桑名宿-42」
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「四日市宿-43」
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「石薬師宿-44」
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 ( Wikipedia より引用)
          (次回に続く)
by mnnoblog | 2015-05-11 08:38 | 美術
*(続き)東海道五十三次
「袋井宿-27」
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「見附宿-28」
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「浜松宿-29」
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「舞阪宿-30」
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「新井宿-31」
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「白須賀宿-32」
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「二川宿-33」
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「吉田宿-34」
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「御油宿-35」
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 ( Wikipedia より引用)
         (次回に続く)    
by mnnoblog | 2015-05-10 08:34 | 美術
*(続き)東海道五十三次
「江尻宿-18」
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「府中宿-19」
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「鞠子宿-20」
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「岡部宿-21」
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「藤枝宿-22」
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「島田宿-23」
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「金谷宿-24」
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「日坂宿-25」
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「掛川宿-26」
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 ( Wikipedia より引用)
          (次回に続く)
by mnnoblog | 2015-05-09 08:00 | 美術
*(続き)東海道五十三次
「小田原宿-9」
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「箱根宿-10」
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「三島宿-11」
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「沼津宿-12」
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「原宿-13」
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「吉原宿-14」
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「蒲原宿-15」
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「由比宿-16」
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「興津宿-17」
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 (Wikipedia より引用)
         (次回に続く)
by mnnoblog | 2015-05-08 08:52 | 美術
*東海道五十三次
「日本橋、江戸出立」
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「品川宿-1」
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「川崎宿-2」
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「神奈川宿-3」
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「保土ヶ谷宿-4」
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「戸塚宿-5」
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「藤沢宿-6」
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「平塚宿-7」
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「大磯宿-8」
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 ( Wikipedia より引用)
          (次回に続く)
by mnnoblog | 2015-05-07 08:49 | 美術
*(続き)富嶽三十六景
「東海道金谷の不二-37」
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「遠江山中-38」
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「東海道吉田-39」
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「尾州不二見原-40」
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「甲州犬目峠-41」
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「甲州三坂水面-42」
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「甲州伊沢暁-43」
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「信州諏訪湖-44」
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「甲州石班沢-45」
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「身延川裏不二-46」
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 (Wikipedia より引用)
by mnnoblog | 2015-05-06 08:18 | 美術
*(続き)富嶽三十六景
「相州梅沢庄-27」
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「相州箱根湖水-28」
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「甲州三嶌越-29」
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「駿州片倉茶園の不二-30」
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「駿州大野新田-31」
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「山下白雨-32」
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「凱風快晴-33」
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「諸人登山-34」
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「駿州江尻-35」
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「東海道江尻田子の浦略図-36」
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 (Wikipedia より引用)
          (次回に続く)
by mnnoblog | 2015-05-05 08:24 | 美術

のほほんと---


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