私のゆるゆる生活

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  (現代ビジネスの画像と記事より)

「会社を辞めます。働くのが嫌になったので、しばらく何もせずふらふらします」

と上司に伝えたのは28歳のときだった。


そもそも就職した瞬間から辞めたかった。

小さい頃からずっと働きたいという気持ちがほとんどなくて、毎日ごろごろとマンガでも読んで寝て暮らしたいと思っていた。

就職したのは純粋に生活費のためだった。


毎日「突然隕石が落ちてきて会社が潰れたらいいのに」と考えながら生きるのにはもう飽きた。


しばらくは何もせず、ひたすらだらだらと寝て暮らすという理想の生活を送ろう。

上司や会社の人たちからは、

「もっと深く考えたほうがいい」

「この先の人生どうやって生きていくつもりだ」

などと引き止められた。


「人生をドブに捨てるつもりか」

「絶対に後悔するぞ」

などと脅してきた知人もいた。


そもそもこの会社にずっといてどうなるというんだ。

僕があまり仕事ができず職場にもあまり適応していなかったのはみんな知ってるはずだろう。

なのになんで引き止めるんだ。


勤め先が悪い会社というわけではなかった。むしろいいほうだろう。

給料はあんまり高くないけれど、仕事はそんなに忙しくなく、将来的にも倒産しそうにない会社だった。

でもそんなぬるい会社でも勤められないということは、多分自分には社会人は無理だったのだ。


僕は京都大学を卒業したという世間から見ると輝かしい経歴を持っているのだけど、それは単に受験勉強ができたというだけだ。

一人でコツコツ勉強をするスキルと、社会性や仕事能力やコミュニケーション能力は全く違う。

いい大学を出れば将来安泰とか言ってたのは誰だ。

結局いい大学を出ても社会に適応できないダメな人間はダメなままなのだ。


これ以上この職場にいても自分も苦しいし周りにも迷惑がかかるだけだ。

じゃあできるだけ早く辞めるのがいいだろう。

そう思って誰の意見も聞かず、僕は職場を去った。


会社を辞めた僕が向かったのは東京だった。

東京に来たのは正解だった。

多分東京に来なければ、こんなにも長期間にわたってふらふらとした生活を続けられなかっただろう。


もっと田舎や地方に住んでいたら、なんとなく周りの雰囲気に流されて、また就職したり何かの拍子で結婚したりして、そしてその合わない暮らしでまた閉塞感を感じてストレスを溜めて、不幸になっていただろうと思う。


世間一般のルールに合わせられないマイノリティの人間はできるだけ大きな都会に住むべきだ。

なぜなら、都会には自分と同じような性質を持つ仲間がたくさんいるからだ。

田舎のマイノリティは孤立するしかないけれど都会のマイノリティは仲間を作れる。これが大きな違いだ。


僕が上京した当時はちょうどツイッターが流行し始めた頃で、ネットを通じて知らない人に会うことがそれまでに比べてすごく簡単になっていた。

重度のネット中毒だった僕は、ツイッターやブログに毎日のように大量の投稿をし、それを通じてネット上の知り合いを増やし、ネットのいろんな人に会ったりネット関係のイベントに顔を出したりするという生活を続けた。


ネットには自分と同じような、ネット中毒の人間や働きたくない人間が無数にいた。自分と話が合う人間がたくさんいるということがとても嬉しかった。


そんな感じでふらふら遊びながら暮らしていると、働いているときに貯めた貯金もだんだんと底をついてきた。

だけど普通に働くのはもう絶対に嫌だったので、自分みたいな怠惰な人間でもできるような、小銭稼ぎの手段を探した。


治験、アフィリエイト、本やCDのせどり、スマホの転売など、いろいろやった。

そのへんの胡散臭い小銭稼ぎをいくつかやっていれば、あまり贅沢はできないけれどなんとか生活をやっていくことはできた。


あとは、ネットで自分の生活状況を詳しく公開していたせいか、いろんな知らない人が物やお金を送ってくれた。

パソコン、自転車、原付、本、食料品などさまざまなものをタダでもらった。

多分みんな、ネットの変な人に物を送りつけるのを楽しんでいたのだと思う。


そんな生活をしていると、たまに何かの間違いで会った真っ当ぽい人に、

「せっかく京大を出ているのにもったいない。いい服を着ていい車に乗っていい女を抱きたいというような、人並みの欲望は本当にないのか?」

などと言われることもあった。


そんな風に言われても、何を言っているのか全然ピンとこなかった。

服には興味がないし車は嫌いだし、女性は嫌いじゃないけれど、それは別にお金があれば仲良くなれるというものでもない気がする。

モテるかどうかって、もっと気遣いとかそういうところの問題じゃないだろうか。


そもそも、お金が欲しいと思うことが僕には昔からあまりなかった。

むしろお金より時間のほうが大切だった。


毎日通勤してフルタイムで働いてストレスを溜めながらそれなりのお金をもらうよりも、お金がなくても毎日好きな時間に起きてごろごろしながら本を読んだりネットを見たりしているほうがいい。

そちらのほうが自分にとっては幸せだということに僕はあるときに気づいた。

だから会社を辞めたのだ。


何が幸せかというのは人によって違うものだけど、世間や他人は自分の基準を無理矢理に押し付けてくるところがある。

全く余計なお世話だ。

僕はそういう意見を全く耳に入れないことにしていた。


「無職だと不安にならない? 自分が何者でもないような状態って心細くない?」

みたいなことを言われることもあったけど、これも意味がよくわからなかった。


むしろ僕は働いているときのほうが不安だった。

会社の仕事なんていう自分の本質と何の関係もないものに1日の大半の時間を使っている状態のほうが、自分が何者なのか分からなくなって苦しい感じがあった。

自分はこんな人間じゃないんだ、こんなことをしたいんじゃないんだ、とずっと1日中思っていた。


それに比べると無職の状態は、全ての時間を自分の好きなように使えるから、これこそが自分だ、自分の人生だ、と思えた。


無職になったくらいで自分が何者でもないような気がする人は、自分が何が好きでどういう人間かということを、今まであまり考えてこなかったのではないだろうか。


その頃の僕は、東京都内のいろんなシェアハウスを1ヵ月〜数ヵ月ごとに転々としていた。

無職でもシェアハウスは入居しやすかったからだ。


普通の家を借りるのには、敷金・礼金・仲介手数料・家具や家電を買うお金など、すごくたくさんのお金がかかる。

あと、保証人をつける必要があったり、勤務先などで審査されたりもする。

無職には到底無理な話だ。


そんな風に転々としたシェアハウス暮らしを続けているうちに自分にはやりたいことが一つできた。

それは「自分で自分好みのシェアハウスを作る」ということだ。


ネットで僕がよく会うような、自分と趣味や好みが似ている人、お酒を飲んでワイワイ騒ぐよりももくもくと本を読んでいるほうが好きな人、普通に会社で働くのが苦手な人、パソコンやゲームや本や音楽が好きな人、そういう人が集まるシェアハウスがあったらいいのに。


僕のイメージとしては、大学時代に住んでいた寮があった。

その寮はとにかく汚くてボロくて、学校に行かないダメな学生がたくさんいて、みんな一日中ゲームをしたりマンガを読んだりしていた。

あの頃は楽しかったなあ。

またあんな場所を作れないだろうか。


そんな願望をブログに書いたら、

「家が1軒空いてるけど借りない? 3LDKの分譲マンションなんだけど」

と、ネットの知り合いから連絡が来た。

おお、本当か。渡りに船だ。僕は二つ返事で了承した。


そうして、現在では全国に数十軒あるギークハウスの最初の1つ「ギークハウス南町田」が東京都町田市に誕生したのだった。


29歳のときに最初のシェアハウスを作ったときには、ちゃんと人が集まるか不安だった。

誰も人が住まなくて自分1人でも、半年くらいは頑張ってみよう、と思っていた。

だけどその心配は杞憂で、ブログに入居者募集の記事をあげるとすぐに応募者がたくさん来て、部屋はすぐに埋まった。


シェアハウスといえば、容姿の良い若い男女がお洒落なパーティーをしたり未来について語り合ったりするみたいなキラキラしたイメージがあったりするかもしれないけれど、僕が作りたいシェアハウスはそれと真逆なものだった。


もっと地味で内向的な人間がもくもくと何かをやっているのがいい。

おしゃれなパーティーなんかに反感を持っている奴を集めたい。

みんな本を読んだりゲームをしたりそれぞれが好きなことを勝手にしているようなのが理想的だ。


そんなコンセプトに共感する人が意外と多かったのか、シェアハウスを始めるとすぐにいろんな人が集まってくるようになった。

シェアハウスのよいところは、個人の家よりも人が気軽に遊びに来やすいというところだ。


うちに集まるのは基本的にネットの人間ばかりなので、みんなツイッターのハンドルネームで呼び合う。


人が集まっても大体の場合あまり会話はせず、それぞれが自分のノートパソコンを広げて画面に向かっている。

誰も他人に向かってほとんど気を遣わない。

みんな勝手に玄関から入ってきてそのへんに座り込んで、ネットを見たりブログを書いたりプログラミングをしたりと好きなことをしている。


でもこういう空間を自分は作りたかったのだ。

自分が自分のために作った自分好みの空間はとても居心地がよかった。


僕が無職だったせいか、シェアハウスに集まるのも同じようなふらふらしている人間が多かった。

無職やニートやひきこもり。フリーランスのプログラマーやライター。ウェブでマイナーな漫画を発表している漫画家。

会社員だけど出社が苦手であまり出社しない奴。


いろんな人間がいたけれど、何らかの能力を持ちつつも学校や会社や家族にうまく適応できないというところがみんな共通していた。


そうした全部の人間をスムーズに受け入れられたわけではなかった。

たまたま気が合って長く付き合う仲間になった奴もいるけれど、基本的にはみんなクズばかりなので、

「こいつ本当にクソだな、もう付き合いきれん」

とか思って放り出した奴も多かった。


「弱い者たちがお互い助け合って生きていく」なんていうフレーズがあるけれどあれは嘘だ。

大体の場合は「助け合い」にはならず、助ける側の人間はずっと助ける側で、助けられる側の人間はずっと助けられる側だ。


だけど、それでまあいいのだと思う。

助ける側がそれで損ばかりしているのかというとそうでもない。

助ける側は助けることによって精神の安定を得たりとか、暇潰しになったりとか、何か得るものがあるから趣味で助けているのだ。


こんな非生産的で時間が止まったようなシェアハウス暮らしを続けて今年で10年目になる。

もう10年も経ったのか、と考えると少し気が遠くなる。

一体いつまでこんな生活を続けられるだろうか。


僕はもうシェアハウス以外でどうやって人と仲良くなればいいのかが分からなくなってしまった。

この先ずっとこんな風に、よく分からないシェアハウスに変な人間を集め続けるという生き方を続けるのだろうか。

死ぬまでずっと? できるかなあ。どうなんだろう。


pha(ふぁ)作家。1978年生まれ。小さい頃から労働意欲に欠け、京都大学を卒業して適当な会社に入社するも3年で辞め、以降ふらふらと定職に就かずにシェアハウスで暮らしている。著書に『持たない幸福論』『しないことリスト』『ひきこもらない』などがある。


# by mnnoblog | 2017-09-06 08:25 | 生活
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  (DIAMOND online の画像と記事より)

定年退職日はある時点でいきなりやってくる。
その日を境に、長年取り組んできた仕事も、会社での人間関係も、スケジュールもすべて一度に失われる。
一方で、本人自身はいきなり変わることはできないので、そのギャップの大きさに戸惑うのである。

毎朝7時に起床して、8時の電車に乗って出社して、残業をこなしてちょっと一杯飲んで家に戻ると夜10時過ぎ。
そういう生活を40年近く続けてきた後に、いきなり朝からまったく自由で、何もやることがない生活に移行する。

そのギャップは、当初大きな解放感になって現れる。
ほとんどの人が会社生活から解き放たれた喜びを語る。
そして解放感が徐々に収まるとともに現実に引き戻される。

多くの自由な時間を楽しく過ごすことができれば良いが、何をしていいのか、何に取り組んでいいのか分からなくなる人も少なくない。

この定年前後のギャップを埋めるには、定年前の働き方を修正するか、定年後の生活を変えていくかのどちらかの対応になろう。

1990年代後半以降、従来の日本的雇用慣行は変化しているにもかかわらず、個人側からの自律的なキャリア形成はそれほど進んでいない。
会社本位スタイルとも呼ぶべき、会社勤め中心の働き方が依然として強く存在している。

会社本位のライフスタイルのまま退職すると、どうしても生活実感を持ち得なくなって、定年後の自分の着地場所が分からなくなる。
また新たに見つけるのにも時間がかかる。

定年退職すると使わなくなるものは結構ある。
背広、ネクタイ、カッターシャツ、定期券や身分証明書もそうだ。
しかし一番大きいものは名刺だろう。

名刺には、勤務する会社名、所属部署、役職、電話、メールアドレスなど、必要最小限の情報がコンパクトに収まっている。
名刺さえあれば、あらためて自分のことを説明する必要はない。
そして会社は、組織を合理的・効率的に運営するために、社員に名刺を携帯させて、自社の社員であることの意識づけをしている。

社員自らも、組織に自己の存在を埋め込んでいるので疑問も抱かない。
同時にそういう一面的な立場を維持して、主体的なものを切り捨てることが昇進や昇格と結び付いてきた面もある。

また単に個人の受け止め方の問題だけでなく、日本社会自体が名刺や所属や肩書を重視する組織中心の社会でもある。
そして定年後は名刺や肩書はなくなり、組織から完全に離れるのである。

定年後にイキイキと生活するポイントは、自らの主体的な姿勢や行動力なのであるが、そのため新たな人間関係を築くまでに時間を要する。
関係ができずに立ち往生してしまっている人もいるのである。

しかし定年後の問題の本質が、定年前後のギャップだとすれば、当然ながら女性も対象になる。
特に男女雇用均等法以降を考えれば会社本位スタイルの女性も増えていて同様な課題に直面するのである。

こうして考えてくると、定年後の自らの姿から逆算して、現在の働き方を見直すという対応策もありうる。

その方向性は、仕事に注力する自分、仕事以外の関心あることに取り組む自分、家族や友人を大切にする自分など、多様な自分を自らの中に同時に抱え込んでおくことになろう。

そして、そのようなマインドセットの切り替えは、50歳ぐらいからスタートするのが望ましいと考えられるのだ。

# by mnnoblog | 2017-09-05 08:42 | 生活
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  (Business Journal の画像と記事より)

糖尿病の初期には自覚症状がない。
そのため、本人が気づかないまま病気が進行し、重症化する危険もある。
次の項目に当てはまるかどうか、チェックしてほしい。

□食後に強い眠気に襲われる
□食事中や食後に大量の汗をかく
□空腹時にイライラしやすい

上記に当てはまった人は「糖尿病予備軍(糖尿病前症)」の可能性がある。
糖尿病予備軍とは、まだ糖尿病にはなっていないが、血糖値が安定していない状態を指している。

糖尿病予備軍の段階で運動や食生活を改善すれば、2型糖尿病(食べ過ぎ・運動不足などで、インスリンの分泌量や効き具合が低下して起こる糖尿病)を予防できる可能性は高い。
しかし、放置しておけば5年以内に2型糖尿病に移行するケースが多いとされている。

日本の糖尿病の総患者数は、厚生労働省が実施している「患者調査」(14年)によると316万6000人。
日本の人口は約1億2700万人なので、糖尿病の患者数は「約2%」に当たる。

アメリカに比べて日本では糖尿病の患者の割合はかなり少ないが、だからといって安心はできない。
冒頭で述べたとおり、本人が気づかないうちに病状が進行している可能性があるからだ。

また、健康診断では判断できない糖尿病予備軍もある。
それが「血糖値スパイク」だ。
「スパイク」とは、とがったものを表し、血糖値スパイクは血糖値が急激に上昇した後で急激に下降する現象を指す。

血糖値スパイクの人は、冒頭の3項目に当てはまる。
ひどい場合は、食事をした後でガクッと気絶するように眠ってしまい、空腹時は落ち着きを失う。

「糖尿病は太っている男性の病気」と思われがちだ。
しかし、血糖値スパイクはやせ形の女性にも見られる。
健康診断で「正常」と判断されても、糖尿病対策を心がけたい。

# by mnnoblog | 2017-09-04 08:37 | 健康
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  (REUTERS の画像と記事より)

製薬会社は長年にわたり鎮痛剤を販売しており、そうした薬品を扱うディーラーや密輸業者が暗躍する闇市場は、活況を呈している。

だがその一方で、鎮痛剤中毒を巡る米国の経済活動は、社会の中心にまで広く浸透している。

米ナショナル・フットボールリーグ(NFL)の王者を決める「スーパーボウル」では、鎮痛剤のオピオイド摂取による便秘の治療薬が宣伝される。
ニューヨークの駅には、中毒を治療する薬剤の広告がたくさん貼られている。
リハビリ施設や警備会社、刑務所、そして葬儀場も、この国を飲み込む悲劇から利益を得ている。

今や、ペット用薬品のオンライン小売業者までが、この危機に乗じて利益を上げていると非難される事態となった。

アメリカ疾病予防管理センターの調査によれば、鎮痛剤乱用による2013年の経済損失は785億ドル(8兆6043億円)に上った。

医療費と薬物中毒の治療費は280億ドルに達し、そのほとんどが保険で支払われた。
捜査・裁判費用は約80億ドルだった。
その他の損失は、ほぼすべてが生産性低下と、若年死によるものだ。

現在の数字はさらに高いだろう。
2015年にはオピオイド乱用による死者は3万3000人を数え、2013年から3割も増加した。
そして、今も増加を続けている。

米連邦準備理事会(FRB)のイエレン議長はこの夏、労働参加率の減少は、オピオイド危機と関連している可能性が高いとの認識を示した。

これは、不幸で稼ぐ経済だ。

連邦検察は昨年、鎮静剤のセールス方法を巡り、米製薬インシス・セラピューティクスの元最高経営責任(CEO)を含む幹部6人を脅迫罪で訴追した。

ペット用医薬品販売のペットメド・エクスプレスが、オピオイド常習者を対象にペット向け鎮痛剤をオンライン販売していた。

この国のオピオイド中毒のためにペットまで利用され得るという事態は、この危機がいかに深刻なものかを示している。
隅々にまで問題が浸透することで、社会の問題意識さえマヒしかねない。

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2016,4/23、WIRED の記事より

米国では、慢性痛の治療に使われるオピオイド系の鎮痛剤が乱用されており、中毒状態になっている者は190万人。
死亡者は1999年から2014年までで16万5,000人に上るとされる。

オピオイド系と呼ばれる鎮痛剤には驚くほどの常習性がある。
米国では鎮痛剤の使用および乱用が蔓延状態であり、米国政府の試算によれば、2013年にはおよそ190万人の米国人がこうした鎮痛剤の依存症だったという。

オピオイド系鎮痛剤はもともと、植物のケシからつくられた。
ケシの実から採集されるアヘンが、古来から麻薬として使われていたのだ。

20世紀はじめの米国では、アヘン中毒が問題になっていた。
当時の米国では400人にひとりがアヘン中毒であり、そのうち2/3は女性だったという。

1914年のアヘン規制法により、上流階級の白人女性でアヘン中毒になる人数は減少したが、非合法の利用は減ることはなかった。

その後も政府は規制の努力を続け、1924年、1951年、1970年にも、(ほかの麻薬も含めた)規制法が成立した。

しかしその一方で、製薬会社はアヘンからさまざまな鎮痛剤(オピオイド系鎮痛剤)を開発していった。
1804年にはモルヒネ、1832年にはコデインが作成され、1874年には、モルヒネからヘロインもつくられた。

オピオイド系鎮痛剤は薬物依存になりやすく、米国では2000年以降にヘロインを乱用した者の75パーセントが、処方薬のオピオイド系鎮痛剤の乱用から始まったとされている

米国では処方薬として購入できるオピオイド系鎮痛剤が、日本では違法薬剤であることも多い。

たとえばオキシコドンは2015年6月、トヨタ自動車の女性常務役員が麻薬取締法違反容疑で逮捕された原因となった

# by mnnoblog | 2017-09-03 08:56 | 社会
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  (日経新聞の画像と記事より)

内閣府は26日、2017年度の「国民生活に関する世論調査」を公表した。

現在の所得や収入に「満足している」「まあ満足している」と答えた人は計51.3%で前年より3.2ポイント増えた。
「不満だ」「やや不満だ」は2.7ポイント減の46.9%。

21年ぶりに“満足派”が“不満派”を上回った。

資産や貯蓄では「満足」「まあ満足」が計44.4%(前年比2.4ポイント増)。
「不満」「やや不満」は計52.4%(同2.2ポイント減)だった。

働き方改革の推進を踏まえ「自由時間が増えた場合にしたいこと」を初めて尋ねた。
「旅行」が最多の47.0%(複数回答)で世代別でも各年代の1位だった。
「趣味・娯楽」が34.8%で続いた。

「現在の生活にどの程度満足しているか」の質問では「満足」が73.9%(前年比3.8ポイント増)だった。
生活が「向上している」は6.6%(同1.1ポイント増)、「低下している」は14.7%(同2.8ポイント減)だった。

政府への要望を複数回答で聞くと「医療・年金など社会保障の整備」が最多の65.1%(同0.7ポイント増)。
「防衛・安全保障」は36.2%(4.3ポイント増)で、比較可能な01年以降で最も高かった。
北朝鮮問題など日本の安全保障環境の厳しさを反映した。

調査は6月15日~7月2日に全国の18歳以上の男女1万人に面接して実施。
6319人の回答を得た。

# by mnnoblog | 2017-09-02 08:52 | 生活

のほほんと---


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