私のゆるゆる生活

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私はゴルフが好きです

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昨日はホームコースでのゴルフ。
朝5時に起きて、軽くストレッチをやり、朝食後6時半に家を出る。
7時にゴルフ場に到着。
練習場で30球ほど打ち、体を動きやすくする。

8時半スタート、ゴルフ場の紅葉を見ると、まだ完全に色づいていない。
いつもラウンドしている同伴のI氏が午後から人に会うため、ハーフで終え、O氏と二人で後半はラウンドする。

フェアウエーのラフも緑から茶色に変化して、ラフに入ったボールも少し沈んでいる。
その所為か、上手く打ったつもりでもミスしている。
今日のスコアは50/46=96で余り良くなかった。

風呂に入って、家に着いたのは3時前。
録画していた朝ドラの「まんぷく」を観る。

その後、「エリエールレディス」のゴルフ中継を観ていると我妻から”ゴルフをしてきて帰ってからもゴルフを観るの?”とあきれ顔で言われる。

確かに自分でもそう思ってます。
何故かゴルフは飽きがこないのである。

# by mnnoblog | 2018-11-17 08:10 | 日記
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江戸時代は各地に関所や番所が設けられ人の移動が制限されていたが、例外として伊勢神宮参詣や日光東照宮参詣、善光寺参詣への旅は自由に許されていた。

特に商売人や農家の人にとっては、伊勢神宮に祀られている天照大神は商売繁盛の神でもあり、五穀豊穣の神でもあった事から、伊勢神宮への参詣の旅は盛んに行われていた。

江戸時代の元和3年、慶安年間、宝永2年、明和8年、文政13年、天保元年のお陰参りには数百万人が伊勢神宮へ押し寄せたとの記録もある。

旅をする人は、現代のパスポートに当たる通行手形を町役人・村役人やお寺に申し出て発行して旅立った。

江戸から伊勢までは宿場が53カ所あり徒歩で約2週間掛ったとされる。
宿場間の距離は平均して3~4Kmであった為、それぞれの健脚に応じて宿泊して行った。
健脚の人は40Km/日は歩いたと言われている。

現代でも2週間の旅に出る事を考えれば、大きな旅行鞄に必要な物を押し込んで旅する事になるが、江戸時代は徒歩での旅であるため、出来るだけ軽装で必要最低限のものを持って歩かないと伊勢まで辿り着けない。

身に着けるものとして、傘、草履、脚絆、合羽、脇差、荷物として、衣類、矢立、櫛、鬢付け油、提灯、ロウソク、火付け道具、麻網、風呂敷、印籠、財布、煙草道具等出来るだけ小さく軽くして肩に担いだり、腰にぶら下げたりした。

また旅費も大変な額になった。
「お伊勢参り講」と言って、旅をしたい町人や農民たちが定期的にお金を積み立てて、くじ引きでお伊勢参りする人を決めたという。

くじで当たった人は、お伊勢参りの代表者として皆から盛大な見送りをされ、お土産を持って帰るという事が行われ、お金が無くても旅に出掛ける事ができた。

また、現代の旅行代理人的な御師(おし)と呼ばれる組織があり、旅先の宿泊手配や観光案内、寺院での神楽の依頼などの世話をする人がいた。

つまり、江戸時代には現代と変わらない旅行の為の組織ができ上っていたのである。

宿場で宿泊するには、旅籠か木賃宿があり、旅籠は現代の宿泊施設と同じで一泊二食付き、木賃宿は食事なしの宿です。
木賃宿とは自分が米と薪を持ち込んで米を炊いてもらう事から、薪代つまり木銭(きせん)を意味している。
宿泊費用は、旅籠で約2000/一泊、木賃宿では500円/一泊だったらしい。

江戸から伊勢までは約490Km、途中川越をしなければならず、多摩川、馬込川、富士川、天竜川は船で渡れたが、大井川、安部川、酒匂川では川越人足によって川を渡らなければならなかった。

大井川は通常は76㎝深さであったが、増水して137㎝を超すと川止めとなり、場合によっては数日川を渡れない事があった。

宿場から次の宿場までの距離は短かったことから、途中で野宿したり追剥ぎに遭ったりすることはなかったものの、軽犯罪的な事は日常茶販事で起こっていた。

目立って起こっていたのは、駕籠かき、馬方、船頭等によるぼったくり行為。
護摩の灰と呼ばれるスリ、置き引き、詐欺など、大部屋で泊まっている客から枕元に置いてある財布を盗む枕探しと言う犯罪もあったと言う。

その様な犯罪に巻き込まれない様、「旅行用心集」なる本も出版されていた。

今では新幹線で東京から京都までのぞみで2時間強。
2週間も掛けて歩いて行った昔の人の健脚に、現代人は到底真似が出来ません。

# by mnnoblog | 2018-11-16 08:10 | 気になる事柄

「本物の孫の手」で

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また、かゆい季節がやってきた。
70歳ぐらいから、冬になると肌が乾燥するせいか、背中がかゆくなる。

年を取ると、肌の保湿性が衰えてくるので肌が乾燥しやすくなる。
保湿クリームを塗って対応をすればよいのだが、いつも塗っておくわけにもいかず、夜布団に入って暫くするとかゆくなってくる。

肌を荒らすことは重々承知の事だが、この時ばかりは「孫の手」に手が伸びてしまう。

「孫の手」とはよく言ったもので、かゆいところを探してこれで掻くと実に気持ちが良い。

本当の孫に背中を掻いてもらった事がない。
一度掻いてもらいたいと思っている。

「孫の手」より「本物の孫の手」のほうが気持ち良いだろうなと思っております。

# by mnnoblog | 2018-11-15 08:10 | 独り言

「正倉院展」へ

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11/12,奈良国立博物館で開催されている「正倉院展」へ行ってきました。
開催日最後の日で人手も少ないだろうと予想した通り、待ち時間は殆どなく入場できた。

しかし、中に入ってみると展示物を見る人で一杯だった。
今回の出展品の内、やはり一番素晴らしかったのは、上図画像の「螺鈿八角箱」と、まるで原稿用紙を使って寸分の乱れもなく細書く筆で描いた「摩訶般若波羅蜜経」だった。

奈良国立博物館を出て、広大な奈良公園内にある浮見堂へ。
公園内には鹿と共に外人観光客が盛んに写真を撮っていた。
浮見堂では、結婚衣装の和風カップルがプロのカメラマンから記念写真を撮って貰っていた。

浮見堂から、チョット遠回りしたが志賀直哉が住んでいた高畑町の住居跡へ。
この住居は志賀直哉が設計した邸宅で435坪の敷地に134坪の住居。

志賀直哉は、昭和4年から昭和13年まで、家族と共に住み「暗夜行路」を執筆した。
また、この住居には武者小路実篤、小林秀雄、梅原龍三郎らが訪れたと言う。

この後は、春日大社、依水園、奈良女子大学を廻る予定だったが、昼食も取らずに歩いたため、これらは次の機会にする事で近鉄奈良駅に引き返し、駅近くの和食屋で遅めの昼食とし、帰宅する事とした。

# by mnnoblog | 2018-11-14 08:10 | 日記
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私が中学生の頃、「黄銅鉱」を拾った時、金色に輝く石を見て感激した事があった。

それから石に興味を持って、河原に行っては色の綺麗な石を探してみたものの、「黄銅鉱」ほど綺麗だと思う石を見つけることはできなかった。

その後、石の事はすっかり忘れていたが、(株)デアゴスティーニ・ジャパンより「地球の鉱物コレクション」と言う、隔週刊誌で石をコレクションできる事を知り、購読して行けば石を集められると思い、2008年1月8日~2012年7月31日まで購読した。

上の画像が集めた石である。120石ある。
なかでもお気に入りの石は、「石黄」(せきおう)と呼ばれる石で、昔は黄色の顔料として利用された石である。
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隔週、火曜日本屋へ行って購入した。
約4年間、買いに行ったので本屋の店員とは顔馴染みとなり、私が顔を出すと何も言わずにコレクションが入った本を差し出してくれた。

# by mnnoblog | 2018-11-13 08:10 | 思い出

のほほんと---


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