私の少年時代-1
私は昭和18年に生まれた。
いわゆる戦中派である。
戦中派と言っても、戦争の事は殆ど覚えていない。
覚えている事は、家のガラスが割れないように紙でペケ印に貼ってあったのを何故か記憶している。
また戦後直後の頃は、戦後の食糧事情が悪い時期だったのであろう、母が一生瓶の中の米を精米の為に棒で突いていた事やその米をかまどに薪をくべながらご飯を炊いていた事を薄っすらと覚えている。
かまどで炊いたご飯は必ずおこげができて、そのおこげを食べるのが好きであった。
その後、数年たって電気炊飯器を購入したが、あのおいしかったおこげを食べることが無くなっていた。
私は450戸もある大規模な社宅に住んでいた。
社宅は平屋や2階建ての木造で、私は2階建ての家に住んでいた。
庭も広く敷地は60~70坪ほどあった。
戦後食糧事情もあって、何処の家でも鶏を飼っていた。
2~3匹飼っていたと思う。
朝、鶏の鳴き声で目が覚めた。
毎朝、採れたての卵を食べていた。
犬も飼っていたことがあったが、直ぐ亡くなってしまったのでその犬をかわいがった記憶は余りない。
しかし、近所で飼っていた犬が良く遊びに来ていて、その犬をかわいがった。
その当時、散歩のときは紐を付けていたが、それ以外の時は犬は放し飼いであった。
家の中で飼うなんてことはどこの家にもなかった。
都会ではなく地方都市であった為か進駐軍の記憶は殆どない。
ジープが走っていたのをかすかに覚えている。
幼稚園はミッション系の幼稚園で家から幼稚園まで1Kmはあり、園児にしては遠かった。
バスは走っていただろうが本数も少なく、自動車は走ってなく、ほとんどの人が歩きで、自転車も少なかったため通園に危険な事はなかった。
近所の子と3人で通っていたが、小、中、高と学校が一緒だったこともあり、3人は今でも幼馴染同士である。
ミッション系の幼稚園だった事で、キリストへのお祈りを覚えさせられたのであろう、後に母から聞かされたのは、毎晩眠る前に、数珠を持ってお祈りをしていたそうである。