私のゆるゆる生活

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私の少年時代-3

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道もバスが通る道路以外は舗装されてなく、社宅内の道は土であった。

家は垣根で囲われていたので、砂ぼこりがしても家の中へ入ってくる事はなかった。


四つ角の所で近所の子供たちと一緒に野球をしたが、四つ角と言っても広い場所ではないので、バットで打ったボールが家の玄関のガラスを破ってしまう事もあった。


その時は全員で恐る恐る謝りに行った。

殆どの子供が顔見知りだったので、ガラスを破られた家の人も「気を付けて遊びなさい」程度の叱り方だった。


子供にはおおらかな時代であった。


お正月になると餅つき屋が来て、家の庭で餅を搗いてくれた。

杵で餅を搗く時、餅をこねる人の手に杵が当たらないかと気が気でなかった。

ホワホワの出来立ての餅を食べるのが、お正月の一番の楽しみだった。


また、畳屋さんが来て畳の張替えもしてくれた。

長く太い針で畳を縫う職人さんの動きを眺めるのが好きだった。

畳を縫った後、針を持ちながら肘でゴリゴリと縫ったところを押す動作が力強よかった。


社宅内には銭湯があって、小学校低学年まで銭湯に行っていたが、その後、家にお風呂が付く様になった。

五右衛門風呂であった。お風呂は確かコークスで沸かしていた。


暫くして、電気洗濯機が家に備えられた。

それまでは、洗濯板を使っての洗濯だった。

洗濯機で洗濯した後は、洗濯物をローラーに巻き付けてハンドルを廻して水を取る初期の洗濯機であったが、母は大喜びであった。


社宅の中にはお店もあったが野菜が中心で、お魚は魚屋さんが荷車に乗せて売りに来ていた。

新鮮な魚を食べていた。

アサリの味噌汁も良く食べていた。


また、散髪屋もあって1回/月必ず行くので、散髪屋さんとは小さい時から顔なじみで、高校卒業するまで私の頭はバリカンによる丸坊主であった。


by mnnoblog | 2018-06-06 08:35 | 思い出

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