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幕末の偉人、横井 小楠

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横井小楠(1809~1969)は江戸幕府の鎖国体制・幕藩体制を批判し、それに代わる幕府や藩を越えた新しい統一国家と社会の構築を考えた人である。

身分制度を廃止して、有能な人物を登用して政治を行い、外国との貿易を通じて国内の経済を発展する方法を模索した。

熊本藩士であったが、その有能さを認められ、福井藩に招聘された頃、吉田松陰と3日間会談する。

その後熊本へ帰るが、自宅へ坂本龍馬や井上馨等が訪問している。
その後、再度、福井藩主松平春嶽から福井藩へ賓師として迎えられる。

その頃、福井藩では保守派と進歩派が対立していたため、「国是三論」を著す。

「国是三論」とは、
1、富国論
 1)天地の気運に乗じ世界万国の事情に従い、天下の政治を行う。
  外国を相手に信義を守って貿易を行い、利益を上げれば、主君は仁政を
  施すことができる。
 2)藩政府の財源確保のため、産物を海外に売りさばけばよい。
 3)徳川一家の為の政治を廃し、国内政治や教育を一新し、富国強兵の成果
  を上げ、侮りを受けないようにする。
2、強兵論
 1)航海が開けている今日、日本を守るのは海軍を強くする。
  幕府が制度一新して国威を示せば、諸国の争いも仲裁できる。
3、士道論
  対立せず、文武の教えで政治を行えば、風俗は淳厚質実になる。


松平春嶽に謁見するため江戸に赴いた時に勝海舟と交流する。
松平春嶽の助言者として幕政改革に関わり、幕府への建白書として「国
是七条」を起草し、徳川慶喜に対面して幕政について意見を述べる。

「国是七条」とは、
1、将軍は上洛して朝廷にこれまでの無礼を詫びる。
2、大名の参勤を止めて述職とする。
3、大名の妻を国元へ帰す。
4、外様、譜代の区別なく有用な人物を登用する。
5、大いに言論の道を開いて天下と共に公共の政を行う。
6、海軍をおこし兵威を強くする。
7、自由貿易を止めて官貿易とする。

慶応3年12月、朝廷から新政府に登用する旨の通知があり従四位下の位階を与えられ明治天皇に謁見している。

明治2年、十津川郷士らに襲われる。享年61才。

横井小楠を幕末の英傑たちは挙って一目置き、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作に至っては、師と仰いでいたと言われています。

坂本龍馬の「船中八策」や明治政府の基本方針である「五個条の御誓文」も横井小楠から影響を受けたものと言われています。

横井小南の主張は、「天皇の下に国家を統一し、人材を広く登用して議会政治を実現する」というものでした。

さらに、「西洋の学はただ事業上の学にて、心徳上の学にあらず。心徳の学なきがゆえに人情に渡ることを知らず。交易談判も事実約束を詰めるまでにて、詰まるところ遂に戦争となる。戦争となりても事実を詰めて、また賞金和好となる。人情を知らば戦争を停むべき道あるべし。事実の学にて心徳の学なくしては、西洋列強戦争の止むべき日なし」と言っています。 

by mnnoblog | 2018-08-15 08:33 | 気になる事柄

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