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2018年 11月 16日 ( 1 )

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江戸時代は各地に関所や番所が設けられ人の移動が制限されていたが、例外として伊勢神宮参詣や日光東照宮参詣、善光寺参詣への旅は自由に許されていた。

特に商売人や農家の人にとっては、伊勢神宮に祀られている天照大神は商売繁盛の神でもあり、五穀豊穣の神でもあった事から、伊勢神宮への参詣の旅は盛んに行われていた。

江戸時代の元和3年、慶安年間、宝永2年、明和8年、文政13年、天保元年のお陰参りには数百万人が伊勢神宮へ押し寄せたとの記録もある。

旅をする人は、現代のパスポートに当たる通行手形を町役人・村役人やお寺に申し出て発行して旅立った。

江戸から伊勢までは宿場が53カ所あり徒歩で約2週間掛ったとされる。
宿場間の距離は平均して3~4Kmであった為、それぞれの健脚に応じて宿泊して行った。
健脚の人は40Km/日は歩いたと言われている。

現代でも2週間の旅に出る事を考えれば、大きな旅行鞄に必要な物を押し込んで旅する事になるが、江戸時代は徒歩での旅であるため、出来るだけ軽装で必要最低限のものを持って歩かないと伊勢まで辿り着けない。

身に着けるものとして、傘、草履、脚絆、合羽、脇差、荷物として、衣類、矢立、櫛、鬢付け油、提灯、ロウソク、火付け道具、麻網、風呂敷、印籠、財布、煙草道具等出来るだけ小さく軽くして肩に担いだり、腰にぶら下げたりした。

また旅費も大変な額になった。
「お伊勢参り講」と言って、旅をしたい町人や農民たちが定期的にお金を積み立てて、くじ引きでお伊勢参りする人を決めたという。

くじで当たった人は、お伊勢参りの代表者として皆から盛大な見送りをされ、お土産を持って帰るという事が行われ、お金が無くても旅に出掛ける事ができた。

また、現代の旅行代理人的な御師(おし)と呼ばれる組織があり、旅先の宿泊手配や観光案内、寺院での神楽の依頼などの世話をする人がいた。

つまり、江戸時代には現代と変わらない旅行の為の組織ができ上っていたのである。

宿場で宿泊するには、旅籠か木賃宿があり、旅籠は現代の宿泊施設と同じで一泊二食付き、木賃宿は食事なしの宿です。
木賃宿とは自分が米と薪を持ち込んで米を炊いてもらう事から、薪代つまり木銭(きせん)を意味している。
宿泊費用は、旅籠で約2000/一泊、木賃宿では500円/一泊だったらしい。

江戸から伊勢までは約490Km、途中川越をしなければならず、多摩川、馬込川、富士川、天竜川は船で渡れたが、大井川、安部川、酒匂川では川越人足によって川を渡らなければならなかった。

大井川は通常は76㎝深さであったが、増水して137㎝を超すと川止めとなり、場合によっては数日川を渡れない事があった。

宿場から次の宿場までの距離は短かったことから、途中で野宿したり追剥ぎに遭ったりすることはなかったものの、軽犯罪的な事は日常茶販事で起こっていた。

目立って起こっていたのは、駕籠かき、馬方、船頭等によるぼったくり行為。
護摩の灰と呼ばれるスリ、置き引き、詐欺など、大部屋で泊まっている客から枕元に置いてある財布を盗む枕探しと言う犯罪もあったと言う。

その様な犯罪に巻き込まれない様、「旅行用心集」なる本も出版されていた。

今では新幹線で東京から京都までのぞみで2時間強。
2週間も掛けて歩いて行った昔の人の健脚に、現代人は到底真似が出来ません。

by mnnoblog | 2018-11-16 08:10 | 気になる事柄