私のゆるゆる生活

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NHKの大河ドラマ「西郷どん」を先取りする形になりますが、幕末維新の最大のクライマックスは、江戸城無血開城ではないだろうか。

討幕の意思強い官軍が、何故江戸へ進軍する前に討幕を止めたのか。
また、徳川家を存続させようと鳥羽伏見の戦いまで起こした徳川慶喜が、何故戦いから離脱し、それ以降官軍に恭順の姿勢を示したのか。

この何故について調べてみました。

慶応3年5月
薩摩藩は自藩が主導する「四候会議」で政治の主導権を幕府から雄藩連合側へ奪取し、朝廷を中心とした公武合体の政治体制へ変革しようと図ったが、将軍徳川慶喜の政治手腕に合い、薩摩藩の思惑は外れてしまう。
その結果薩摩藩は討幕へ舵を切ることとなる。

慶応3年10月14日
その前日、岩倉具視らの働きかけで、朝廷より”討幕の密勅”が下されたが、将軍徳川慶喜は「大政奉還」を上奏し、260年以上にわたって幕府が保持していた政権を朝廷に返上する旨を表明した。

「大政奉還」論は、横井小楠、大久保一翁、勝海舟らの開明的な幕臣などによって、早くから将軍徳川慶喜に提唱されていた。

「大政奉還」をする事で、将軍徳川慶喜は政権が天皇の下で一元化される新体制において、自らが主導的役割を果たす道を見出そうとしたとされる。

慶応3年12月9日
新体制へ移行するに当たり、将軍徳川慶喜を排除するため薩摩藩士大久保利通や公家の岩倉具視らが「王政復古」の大号令を発した。

これは、一部の公家と尾張藩、芸州藩、越前藩、土佐藩、薩摩藩、長州藩の有力者が主導する新政府を樹立するものであった。

内容は、
・将軍職辞職を勅許。
・京都守護職・京都所司代の廃止。
・幕府の廃止。
・摂政・関白の廃止。
・新たに総裁・議定・参与の三職をおく。
というものだった。

「王政復古」を発した後、明治天皇臨席の下での会議(小御所会議)が開かれ、岩倉具視らから徳川政権の失政を並べ、徳川慶喜の内大臣の辞任と幕府領の全納(辞官納地)が決定する。

慶応3年12月19日
薩長らの余りに強引な動きに、在京の諸藩たちも動揺が起こり、薩長たちに御所から軍隊を移動するよう要求があった。

徳川慶喜は大阪城で、アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・イタリア・プロイセンの6か国公使と会談し、内政不干渉と幕府の外交権の保持を承認させた上で、朝廷に対し「王政復古」の撤回を要求した。

# by mnnoblog | 2018-08-16 08:39 | 気になる事柄

幕末の偉人、横井 小楠

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横井小楠(1809~1969)は江戸幕府の鎖国体制・幕藩体制を批判し、それに代わる幕府や藩を越えた新しい統一国家と社会の構築を考えた人である。

身分制度を廃止して、有能な人物を登用して政治を行い、外国との貿易を通じて国内の経済を発展する方法を模索した。

熊本藩士であったが、その有能さを認められ、福井藩に招聘された頃、吉田松陰と3日間会談する。

その後熊本へ帰るが、自宅へ坂本龍馬や井上馨等が訪問している。
その後、再度、福井藩主松平春嶽から福井藩へ賓師として迎えられる。

その頃、福井藩では保守派と進歩派が対立していたため、「国是三論」を著す。

「国是三論」とは、
1、富国論
 1)天地の気運に乗じ世界万国の事情に従い、天下の政治を行う。
  外国を相手に信義を守って貿易を行い、利益を上げれば、主君は仁政を
  施すことができる。
 2)藩政府の財源確保のため、産物を海外に売りさばけばよい。
 3)徳川一家の為の政治を廃し、国内政治や教育を一新し、富国強兵の成果
  を上げ、侮りを受けないようにする。
2、強兵論
 1)航海が開けている今日、日本を守るのは海軍を強くする。
  幕府が制度一新して国威を示せば、諸国の争いも仲裁できる。
3、士道論
  対立せず、文武の教えで政治を行えば、風俗は淳厚質実になる。


松平春嶽に謁見するため江戸に赴いた時に勝海舟と交流する。
松平春嶽の助言者として幕政改革に関わり、幕府への建白書として「国
是七条」を起草し、徳川慶喜に対面して幕政について意見を述べる。

「国是七条」とは、
1、将軍は上洛して朝廷にこれまでの無礼を詫びる。
2、大名の参勤を止めて述職とする。
3、大名の妻を国元へ帰す。
4、外様、譜代の区別なく有用な人物を登用する。
5、大いに言論の道を開いて天下と共に公共の政を行う。
6、海軍をおこし兵威を強くする。
7、自由貿易を止めて官貿易とする。

慶応3年12月、朝廷から新政府に登用する旨の通知があり従四位下の位階を与えられ明治天皇に謁見している。

明治2年、十津川郷士らに襲われる。享年61才。

横井小楠を幕末の英傑たちは挙って一目置き、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作に至っては、師と仰いでいたと言われています。

坂本龍馬の「船中八策」や明治政府の基本方針である「五個条の御誓文」も横井小楠から影響を受けたものと言われています。

横井小南の主張は、「天皇の下に国家を統一し、人材を広く登用して議会政治を実現する」というものでした。

さらに、「西洋の学はただ事業上の学にて、心徳上の学にあらず。心徳の学なきがゆえに人情に渡ることを知らず。交易談判も事実約束を詰めるまでにて、詰まるところ遂に戦争となる。戦争となりても事実を詰めて、また賞金和好となる。人情を知らば戦争を停むべき道あるべし。事実の学にて心徳の学なくしては、西洋列強戦争の止むべき日なし」と言っています。 

# by mnnoblog | 2018-08-15 08:33 | 気になる事柄

蝉も熱中症らしい

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私の家の近くに公園がある。
毎年夏になると朝早くから蝉の鳴き声で目が覚める。

今年も大合唱が続くと思っていたら、3日前頃から鳴き声が少なくなった。
また鳴き方も弱弱しい。

ある新聞に「蝉も熱中症になる」という記事が出ていた。
公園のセミも熱中症になったかと思った。

蚊も35度以上になると飛べなくなるらしい。
大変な暑さである。

お盆も過ぎようとしている。
少しは涼しくなるだろうと期待しているが、今週も暑い日が続くようだ。

# by mnnoblog | 2018-08-14 08:17 | 独り言
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今年の夏は暑い。
暑いので思い出すのは”かき氷”である。

子供の頃、泳いだ後に食べる”かき氷”は何よりも美味しかった。
高く盛った氷を小さなスプーンで崩れ落ちないようにそっとすくって食べるようとするが、落ちてしまってもったいないと感じたものである。

好きだったのはミルククリームだった。
宇治金時も美味しかったが、小豆の味が甘すぎてあまり好きではなかった。
むしろ、抹茶だけの方が好きだった。

最近はいろいろな”かき氷”があるらしい。
フワフワ氷より氷粒が少し残っている方が食感が良くて私は好きである。

”かき氷”は清少納言の「枕草子」にも載っている事から、かなり昔から暑い日は食していたそうである。

NHKの朝ドラの「ごちそうさん」では、”焼き氷”が出てくる。
”かき氷”の上にカラメルソースを掛け、その上に焼酎を掛けて火をつけて焼いたものらしい。

私は未だ食していない。
一度食べてみたいと思っています。

# by mnnoblog | 2018-08-13 08:36 | 気になる事柄
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最近、赤とんぼを見かけなくなった。
秋口になると沢山の赤とんぼが群れをなして飛んでいる光景を見る事がない。

調べてみると、2000年頃から急激に減少したらしい。
原因は田植に用いられる稲の育苗箱にあるらしい。
育苗箱に使用された殺虫剤が、稲と共に田んぼに植えられ、それが赤とんぼの幼虫に対して毒性を持ったものに変化してしまうらしい。

私の住んでいるところは田んぼの少ない所なのでよく分かりませんが、赤とんぼ以外にもシオカラトンボやイトトンボ、オニヤンマも見かけない。

私たちが食するお米を育てるために、トンボが犠牲になっている事は悲しい事である。

トンボ以外に殆ど見かけなくなったものに「ミノムシ」があります。
木の枝にぶら下がっていた「ミノムシ」です。
今では絶滅危惧種になってます。
中国からの寄生バエでやられてしまったとの事です。

人は環境を破壊して人にとっては住み良い様に変えて行ったものの、それによって失ったものがある事を再認識しなければならないと思います。

昨今、環境を取り戻す働きがあるものの、まだまだ元の環境に戻すまでには至っていません。
小さい生き物も生存できる環境づくりへの行動が望まれると思ってます。

# by mnnoblog | 2018-08-12 08:35 | 気になる事柄

のほほんと---


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